道院の概略

 

道院の概略

  冊子より抜粋し、道院の概略を紹介いたします。

濵縣大仙祠

 

道院の萌芽

  中国山東省濵県(ひんけん)の県公署(県政府の役所)内に昔から大仙祠(仙人を祀る廟)があった。それはいつ頃できたものなのか知る由もないのである。

  1916年(大正5年)から1917年(大正6年)にかけて、時の県知事・呉福永と駐屯軍部隊長・劉福縁、その幕僚・洪解空、周吉中等が、役所の公務の余暇に、時おりこの大仙祠において壇を設けては、扶乩(フーチ)※によってご神霊の降臨を仰いでいた。

  この壇にはいつも尚仙(道院で祀られている壇院掌籍・尚真人)のご神霊が降りられて、そこに参列している人々をみな弟子と見なされて、平素から詩や文章を用いて教えを示されていた。それはあたかも温かい心のふれあう子弟の間柄のように、親しみと尊敬の念に満ち満ちていた。

※扶乩:砂盤の上に人が木片をかざすと、自動的に神仏のメッセージが表記される仕組みで、古来中国ではポピュラーな占い・予言の手法。

  そしてまたその人々に何か事が起り、悩み苦しんで神仙にお伺いをたてるたびに、いつも適切明快なる回答が示されるのであった。しかし、その殆どの教えは、人として歩むべき人倫の道に違うことなく、各人が修養によって立派な人格を作り上げるよう懇々と説かれ、さらにその時節を憂いておられる憐憫の情は切々として言の葉ににじみでていた。


「至聖先天老祖」の降臨

ある日、人々が「この宇宙におけるご神霊の中で、最も尊い神様はどなたですか」とお伺いをたてたところ、尚仙はこれに対して「太乙老人こそ最高至尊の大神様である。私としては余りにも恐れ多くてご光臨を要請することできない。もし、諸君が本当に敬虔な気持ちを以てそのことを請(こ)い願うのであれば、南極老人に仲介の労をとって頂くようにお願いしてみよう。」とお答えになった。

  次の日、 また扶乩によってご神霊のご降臨を仰いだところ、はじめに先ず南極老人がお降りになり、しばらくして、太乙老人と署名された神様がお出ましになった。この神様こそが最高至尊の「至聖先天老祖」なのであった。そしてそこで諄々として述べられる訓誨のお言葉は全てが人々に対する一大警告にほかならなかったのである。

即ち「いかに素晴らしい山河があっても、それはたちまちにして塗炭の苦しみに変ってしまう。これもまた天数(運命)によるもので、如何ともし難いのである。下元末期(宇宙的時間サイクルである上元、中元、下元における最終局面)に至ると、数多くの大災劫(災害)が発生する時代に入るのである。」というものであった。

 


『太乙北極真経』の伝授

  1920年(大正9年)、李智真と洪解空の両氏は相継いで省都済南に赴いて、前任の呉福永、劉福縁の両人と面会した。ここにおいてはじめて神縁のある人々の御霊(みたま)が一堂に相会することになり、ついに劉福縁の邸宅においてまた扶乩の壇を設けてご神霊の降下を仰いだのである。

  その時、壇に参列した人々は36人以上に上り、壇訓によるご神示もまた相継いで盛んに現われた。それらのご神示はみな道を修め、心身を養い、それによって人を渡(すく)い世を化す(すくう)教えであり、これらの教訓によって人々を激励されたのである。

道院の根本経典である『太乙北極真経副集』(以下『真経』)もこの経過に沿って伝授されたものである。その折、参集者の中には儒教、道教、仏教の信徒は勿論のこと、さらに回教、キリスト教の信者もそれぞれ一人ずつ含まれており、はからずも世界の五大教の信徒がみな同じように敬虔なる誠心を以て『真経』を伝授される壇に参列した。五教が合流して、その根源の大道に帰一する思想はここから始まるのである。



道院の発足

  斯くして1921年(大正10年)の農歴2月9日を道院開設の日として、全土各省に普く通知され、且つ山東省政府に対する認可申請手続き一切が新聞に公布された。遂にこの時を以て永遠にゆるぎない道の基礎が確立されたのである。そこで1922年(大正11年)の立春の日が創立記念日と定められたのである。

(※)「大道の行われるや、天下を公と為す。」と礼記に示されている。昔、大道がよく行われた聖世(みよ)(堯舜禹の三代にわたる治世)を大同の世といって理想的社会とされた。その大同の世とは即ち「大道の行われるや、天下を公と為す……」の一節に始まる。その意味は大道が世に行われるようになると、私利私欲や私心によって動くことなく、すべて天理、道心、公徳心によって動くようになるので世の中がよく治まっていく、という意味である。

劉福縁

洪解空

周吉中

 

 

 

道院で奉斎する神仏

道院には正位+六院の7つの祭壇と祀勲室、祀霊室が設置されています。

 

道院には(正位)+(六院)の7つの祭壇、並びに祀勲室、祀霊室が設置されています。

 

〇正位(至聖先天老祖とその下に五大教祖のお名前が刻まれています。)

・至聖先天老祖

道院の主神であり、神道の「天之御中主神」、道教の「道」であり、仏教の「毘盧遮那仏」、キリスト教の「天なる父」、イスラム教の「アッラー」、儒教の「上天」や「上帝」など各教で至高として説かれている存在のことです。

 また、至聖先天老祖をお祭りするご神位には道教、仏教、イスラム教、キリスト教、儒教の五大教の教祖を併せお祀りしています。

・太上老君:道教の教祖

・釈祖:仏教教祖の釈迦牟尼仏

・謨祖:イスラム教の教祖マホメット

・耶祖:キリスト教の教祖イエス・キリスト

・項先師橐:扶乩の訓により、項先師橐(コウセンシ タク)を儒教の始祖としてお祀りしています。項先師橐は七歳の童子ですが孔子の師匠とされ、『戦国策』、『史記』にその事績が記されています。

 

〇六院(六つの方面を司る六つの「院」があります。)

「統院」

統院は教院、道徳社、女道徳社も含み道院全体を統括します。

以下、各院の主宰責任者を「掌籍」、副責任者を「副掌籍」と称しています。

・掌籍(最高責任者):孚聖 八仙の一人で呂洞賓のこと。

・副掌籍:昌佐神 三国志の諸葛亮孔明

・統教掌籍:孔聖(孔子) (孔聖略史

・統教副掌籍:慧聖 六朝時代の劉勰(りゅうきょう)。文学理論書『文心雕龍』を著す

・統社掌籍康聖 八仙の一人で鍾離権のこと

・女社掌籍蓮台聖 観世音菩薩(蓮台聖略史

・関聖 鎮壇将軍 三国志の関羽

・桓聖 護壇将軍 三国志の張飛(桓聖略史

・都巡使楊 忠愍公 明代の官僚・楊継盛

・和光真人 宋代の儒者 周濂渓(しゅうれんけい)

・黙真人 道院創立時の初代統院掌籍(黙真人略史

 

また、日本の道院では

・霊績真人兼中和成化普渡天尊:「大本」の始祖 出口王仁三郎(道名・尋仁)

・勷承真君 初代の日本総院会 統院掌籍 林出賢二郎(道名・尋賢)

を統院にお祀りしています。


杜黙靖(黙真人)

 

「坐院」

先天の坐を司る院です

・掌籍:達磨佛 禅宗開祖の達磨大師(達磨佛略史

・副掌籍:普静菩薩 五代時代の僧侶(普静菩薩略史

 

「壇院」

扶乩を司る院で、扶乩が神仙により停止される以前は壇院の前にて扶乩を行いました。

・掌籍:尚真人 道院創立以前大仙祠の扶乩にて信徒を指導する(尚真人略史

・副掌籍:岳聖 南宋の将軍・岳飛

 

「経院」

『太乙北極真経』『太乙正経午集』等の経典に関することを司ります。

・掌籍:文殊仏 文殊菩薩。

・副掌籍:普賢仏 普賢菩薩

 

「慈院」

外慈(慈善活動などの慈行)を司ります

・掌籍:済仏 済公活仏と称された中国語圏では有名な僧侶

・副掌籍:孫真人 唐初期の医家・孫思邈(そんしばく)

・華祖:三国時代の医聖・華佗

 

「宣院」

宣闡(道を世の中に伝えること、教育すること)を司ると同時に求修(入会)時の四誓願を宣言する院です。

・掌籍:亜聖孟子

・副掌籍:先知施洗約翰 (洗礼者ヨハネ)

 

また、日本の道院では宣院副掌籍兼佈道使者として

・聖徳太子

・弘法大師

・伝教大師

・楠木正成公

・二宮尊徳

をお祀りしています。

 

「祀霊室・祀勲室」

祀霊室は三霊尊者の神位と帰道(逝去)した修方、先霊(先祖)を祀りしています。

・三霊尊者 : 統霊尊者・渡霊尊者・護霊尊者はあわせて三霊尊者と称され、各人の先霊(先祖)を守護をされています。

・東瀛和方・華方修方先霊総位日本総院会の成立時、扶乩により指定された和方(日本人)と華方(中国人)修方それぞれの先霊の総位をお祀りしています。

・祀勲室道院に功績のあった修方をお祀りしています。

 

扁額と道名について

  仏教や神社などの本殿に額が飾られていることがあります。道院においてはこの扁額はとても重要です。各地の道院や女社の創立する時、至聖先天老祖や諸神仙がその道院の役目を示す書を扶乩にて降ろされていました。書かれた4文字の漢字は、その道院や女社の役目や目標を示すとされ重要視されます。済南母院の扁額は「素円惟霊」、日本総院は「誠正和平」と道院ごとに違います。(扁額「誠正和平」についてはこちらをご覧ください)

また、この扁額の四文字は、求修後に与えられる道名の元になっています。日本総院会を例にとれば、誠・正・和・平の四文字と別の文字が組まれ道名になります(例:誠一、正性など)。この道名はその修方の修道上の目標を示すとされ、求修者とその道名が本部「宗母総」に記録され、正式な登録となります。

  なお、現在の日本総院会の道名は、「誠正和平」の組み合わせを終え。別の四文字を用いています。

 

 

『太乙北極真経』『太乙正経午集』について



  濵縣大仙祠縣大仙祠に至聖先天老祖が降りられるようになり、そのある日の訓により、前述の如く

「いかに素晴らしい山河であっても、それはたちまちにして塗炭の苦しみに変わってしまう。これもまた天数(運命)によるもので、如何ともし難いのである。下元末期(宇宙的時間サイクル上元、中元、下元における最終局面)に至ると、数多くの大災劫(災害)が発生する時代に入るのである」

と示されました。

  その大災劫(災害)を化す(消し去る)ために、1920年に至聖先天老祖より扶乩で降ろされたのが『太乙北極真経副集』(以下『真経』)です。また、1923年には『太乙正経午集』(以下『正経』)が降ろされています。

  『真経』は本章十二巻と前後の巻からなります。約90~120分の誦経となります。(詳細はこちらをご覧ください

  『正経』は全四巻と膨大なため、2~6日間かけて誦経します。


誦経の方法

  『真経』・『正経』ともに一人で音読することは許されず、必ず「道院」内で6名以上の修方が集まり誦することと規定されています。道院外での誦経や6名に満たない誦経は却って魔が入ると禁じられています。

 

誦経の目的

1)化刼

  有形無形の劫や災害を化す(消し去る)ために誦経します。有形とはすでに現れた災劫を言い、無形とはまだ現実化していない災劫を指します。訓文においてはよく「無形において化す」「無形に運ぶ」などの文があり、まだ現れる前に化すことを企図して誦経することが推奨されています。

誦経をすれば十全に化劫できるのではなく、経典4割、誦経する修方の力量6割と言われ、十全に誦経の力を発揮するために日々の修道が重要となります。

 

2)先霊冥修(先祖供養)

朔の常儀礼(農歴一日に行われる祭典)では、『真経』を先霊冥修(先祖供養)のために誦経します。先霊が清められることにより、誦経者もまた清められるとされています。


その他の経典について

  扶乩で降ろされた経典は『真経』、『正経』だけではありません。

『太乙北極経髄』天集・人集(1929年)

『太乙北極行修真経』(1933年)

『太乙北極真経奥義』(1944年)

  その他にも、経典およびそれに準ずる内容のもなどが多数あります。

 


咒について

  『真経』や『正経』といった経典とは別に、時々の目的に応じた各種の咒(呪文 mantra)が使われています。道院の祭典で良く用いるのは、下記のものです。

・清浄咒:祓い清める

・免因咒:悪因を祓う

・安寧化劫咒:劫を取り去り安寧を立てる

・化厲咒:魔を祓う

・合霊咒 :霊を合わせる

  その他にも、神化咒、『正経』の前後に誦える益霊化劫咒(詳細はこちら)などが誦されます。これ以外にも咒や密教などから取り入れた咒などがあり、誦する際は「誠心」をもって行うことが重要とされています。

『太乙北極真経』誦経の写真(2012年 銀座)