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都巡使楊忠愍公誕日祭典(楊忠愍公略史)

    農歴庚子年十月十五日(2020年11月29日)に、常儀礼と都巡使楊忠愍公誕日祭典を行いました。

   楊忠愍公は明の時代の官僚で、道院では統院に都巡使として神位に刻まれ祭祀されています。「都巡使」は中国の官僚制度の役職名です。王の命令を各地に伝え、その執行を見る役目、犯罪者を捕縛する警察としての役割など時代や王朝により役割は変わりますが、正を立て邪を退けることは共通しています。

  それでは『聖哲略史』より楊忠愍公の略史を抜粋いたします。

 

楊忠愍公

  名は繼盛、字は仲芳。別號は椒山。明時代の容城の人。家は貧しく、學に励む。

楊継盛(Wikipediaより)

  嘉靖(※)の時、進士と成る。兵部外郎に官すると、嚴嵩(げんすう※)を十大悪五奸として弾劾するが、逆に杖で撃たれ獄に繋がれ、後に帰道(死亡)する。刑に臨む前、道士から蛇膽(※)を貰う。道士が謂うには、これを舐めれば即無知覚になると。楊公それを却(ことわり)曰く「椒山(楊公の號)自ら膽あり。蛇膽をどうして用いようか」。

   初入獄時、(拷問により)傷甚だし。夜半に意識を取り戻し、磁碗を以って自らの腐肉を割く。筋、皮膚を断ち、手を自ら切除した。獄卒はそれを見て震え、持つ燈火が落ちそうになった。楊公は自ら意の如くし、朝の審判となり、観ようと人々は衢(通り)を塞ぎ、皆その冤罪に泣いた。

   後に嚴嵩が排除されると、穆宗(ぼくそう※)は直臣を卹(あわれ)み、太常少卿を追贈し、忠愍と諡号した。また、御史の郝杰の言に従い、祠を建て大切にした。詳しくは明史本伝に詳しい。

※嘉靖:明の年号(1522-1566)

※進士:科挙に合格した人

※嚴嵩:げんすう。明の政治家。賄賂などの悪政を行ったといわれる。

※蛇膽:じゃたん。蛇の胆嚢。薬や毒薬として使われる。

※穆宗:ぼくそう。明の隆慶帝。

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