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普静菩薩誕日祭典(普靜菩薩略史)

   農歴八月二十六日(2020年10月12日)に坐院副掌籍(ざいんふくしょうせき)・普静菩薩(ふせいぼさつ)の誕日祭典を行いました。日本では普静菩薩はあまり知られていない高僧ですが、中国の五代時代の僧侶です。『聖哲略史』より略史を転載いたします。

 

普静菩薩(ふせいぼさつ)

  氏は性茹。五代時代の晉州洪洞の人。本郡において幼少のころに出家し、慈雲寺恵澄法師に師事する。諸經を暗唱し、秘咒を明持した。

白品(※)になることを思い、青螺を剪す(※)ことを願う。方壇(※)に従い、律を遵守した。睢陽(※)で法を聴き、即龍興寺に赴き訓を講ずることを行った。それを聞く人々や僧侶は蛟龍を宗とする鱣鮪の如くであった(※)。後に陳、蔡、曹、亳の各地に宿し、縁に従い人々を導く。東京(※)に帰ると特に法を揚化し、善者は皆従った。

晋の天福癸卯(943年)に故地を思い郷に戻ると、遂に断食を発願し、千身を捨し、正覚に登ることを願う。顯徳(※)二年、州の牧(役人の役職名)に陳情すると、牧はその意を許した。その後、廣勝寺に住し、州民は帰依し、香果を献じ、涙を流し従う。四月八日、願を発し曰く「願焚千身、今千中之一也(千身の焚火を願う。今身は千の中の一つにすぎない)」と述べ、柴龕(※)へと進んだ。火をつけると、慘色の煙が立ち込め、愁雲が霞み、衆は悲しみ嘆くのであった。享世六九歳。弟子はその塵を集め供養した。高僧伝(※)に詳しく書かれる。道院においては坐院副掌籍である。

(冊子『聖哲略史』より)

※白品:誦経する専門の僧職

※青螺を剪す:経典を学ぶこと。青螺は経典を誦した後に法螺貝吹くことから転じて経典を意味し、剪すとは古代経典は木の皮や葉に書いたことから転じて経典を学ぶ、書き写すことを意味する。

※方壇:寺院などの意

※睢陽:河南省の地名

※蛟龍を宗とする~:蛟龍は龍、鱣鮪などの魚類を指し、多くの群衆が従う様を言う。

※東京:中国の地名

※顯徳:954960

※柴龕:木の棺

※高僧伝:『宋高僧伝』の中に同様の文章が載っている。

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