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孔聖(孔子)誕日祭典 (孔聖略史)

    農歴八月二十七日(2020年10月13日)に孔子(孔聖)の誕日祭典を行いました。

    統院に統教掌籍大聖至聖孔子としてお祀りしています。統院は道院に関わる一切のことを司る院であり、その中に統教、統社、女社などの院(社)も属します。教の名の通り、教義・教えを担当するのが統教掌籍である孔子です。『聖哲略史』より略史を転載いたします。

 

孔聖(孔子)

   姓は孔、名は丘、字は仲尼。世に令徳をもたらした。父は魯の大将・叔梁紇。母の姓名は顔氏で、名を徴在といい、行いは共に浄い。

   降誕の前、母が尼山にて祈ると五老(五人の賢者)が庭で遊び、麒麟が玉と書を吐き出す夢を見る。孔子の母は絹の紐を麒麟の角に繋げ、夢から覚めた。

   周の霊王二一年庚戌十一月庚子、空桑(地名)の石室で生まれる。生まれながらに聖徳を有し、子供の時から遊びとして祭器の俎豆を並べ、礼にかなった容装をした。

   長じて杏壇(※)において徒弟に教えを授け、弟子は三千人に及ぶ。その中でも七十二人は高弟とされる。 時事の困難なるをその目にし、道が匡(ただ)され、末世を救うことを欲す。一台のみの馬車にて列国を周遊する。しかし道は廃れ、道が正しく行われることはなかった。その後、魯に帰り、六経を校正添削し定め、後世に教えを伝える。周の敬王四十一年夏四月乙丑に卒す(亡くなる)。七十三歳であった。

   漢王朝からの習わしとして普通の人にまで皆、尊号を有するが、孔子の尊号は「至聖先師孔子」と称される。道院においては統教掌籍大成至聖孔子として統院に祭られている。

(冊子『聖哲略史』より)

※杏壇:孔子が教えた学舎の周りに杏の木があり、杏壇と言われる。

 

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