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『太乙北極真経』その④ 『太乙北極真経邃秘』について

    2020年11月23日(農歴庚子年十月九日)に『太乙北極真経』が伝経され100周年となり、数回に分けて『太乙北極真経』を紹介しています。

 

【日常的に誦経する経典】

   『太乙北極真経』は誦経(声を出して経を読むこと)は道院外では許されず、また六人未満の誦経は却って魔が入ると禁止されています。また、誦経には約90~120分かかり、そのため日常的に自宅などで誦経できるものではありません(各自で黙読すること、研究する参経は推奨されています)。

   そのため日常的に誦経できる経典として、伝授されたのが『太乙北極真経邃秘(たいいつほっきょくしんきょうすいひ)』です。『邃秘(すいひ)』と略称され、約1分で誦えられる短さです。

 

【 『邃秘』が示された時の訓文】

  今回は、この『邃秘』が至聖先天老祖により示された時の訓文(扶乩による文)を掲載いたします。この訓文は至聖先天老祖と弟子の会話のような形式となっています。わかりやすくするため、弟子の発言部分は「〇〇〇」としています(原文には「」はありません)。

   また、この訓文が載る和綴じの冊子は「康徳三年」と発行年の印が押されています。康徳(こうとく)は満州國で使用された年号で三年は1937年です。約80年前の冊子となり、日本総院が所蔵する資料の中でも古いものの部類に属します。

以下、訓文となります。

 

謹んで經旨邃秘について記す。

太歳壬申年(1932年)十一月二十五日酉正傳授干第六母壇其首尾

訓文を左に恭記す。

 

老祖訓

老人(老祖様の自称)、化世樞府(※)に退休し、妙山玄宮(※)において静坐す時、五教の教祖、耳、釋、基、淸、儒(※)の各教の弟子が率いられ、また樞府の各級職掌、化刼の仙佛達が老人の前にて輪になり跪き、而して懇ろに声を合わせて言う。「東北主樞(※)は大功を告成し、消災弭刼(災害難を未然に消し)、大千承平(世界を平和にし)、得度衆生(人々を救った)し、各々の至淸をこの機に證しました。是に応じ、道を語り伝示し給へ。以って自度(自らを救う)の統を垂(示)し、化世の基を現し給へ。」と。

老人は誠をもって經秘を授けた。而して世修の至誠を抜した(抜:救う、上昇の意)。

老人が伝えた各經は人心にすでに及び(届き)、救いを得るか陥を得るかは、ただ心による。再び何の妙を語ることがあろうか。語ればかえって世を粉淆(混乱)させる。

  諸弟子は声を合わせ、誠懇に言う。「老祖は世を救われ、良苦に心を用いられました。經を授け要を示し、衆生得度、示慈彰果(慈を示し成果を現す)をされました。苦、蒙を活し(改善し)、既にこの功を固く定められました。ただ衆修の内、文字を知る者は少なくありませんが、未だ文字を知らない者も多く、再び痴に戻ってしまう者も少なくありません。ここに慈恩を求め、愚誠をご覧になり、憫みたまへ。経要を授け、自らを救う道をお教えください。」と。

老人回憶し、十二載(年)以来、經を傳え義を述し、もとより従う者も少なくなく、愚、痴の者は能く益され、修功を完した者もいる。しかし、多くはない。ならば太乙北極眞經副集經旨において、玄訣を集め、精秘を示そう。以って東北主院は大功告成に適す。經壇は新立し、渡世の機会である。この秘を授かれば、一回の誦で副集全經の功と同じにすることができる。誦者は悟りを得て、悟者は渡(救)いを得るこの經秘の次第玄訣(次第は順番の意)を均しく悟るなり。

ここに於いて、老人は各弟子の請を許し、しかして經を説く。

(次いで邃秘全文を示される。修方のみ閲覧できるため掲載しません)

老人はこの經を説いた。一胞の内に、衆生は有相の若(ごと)く、無相の若く、非有相の若く、非無相の若く、有形の若く、無形の若く、非有形の若く、非無形の若く、有色の若く、無色の若く、非有色の若く、非無色の若く、一切が有の若く、一切が無の若く、一切が非有の若く、一切が非無の若く。皆、老人の前において合掌し恭敬礼拝す。界輪を脱するを得て、青玄に入る。また、今日(こんにち)各弟子が老人の前に於て静息黙坐する如く、天はその一凝を得て、地はその一寗を得、人はその一清を得る。しかして、無上上乗の妙境を證する。この環にいる者も、そうでない者も、黙坐をする者も、そうでない者も、各々の一氣の清により、秘の要を聞き、秘の玄を悟るなり。各弟子は青玄を既に超し(※)、将に老人はこの秘を各子に示した。以って、この秘の一回の誦で、副集全經の功と同じにすることができるなり。

一日に一回の誦で、一身の魔を免じることができる。一日に十回の誦で慧(智慧)を増すことができる。一日に百回誦える者は全家(一族につらなる者)の難を免じることができる。一日に千回誦えればその功徳はさらに無辺に広がる。

各弟子、もし静坐中にこの秘の妙を悟れば、修功をその身に著し、副經を悟るだろう。これ(副經)は言語を以ってその玄を述することはできないものである。老人が授けた太乙北極真経副集經旨邃秘を各々悟る可し。

各經壇に侍する者よ、これを授からず、記さないこと能わず(『邃秘』の訓をないがしろにせず、しかと記録し、実行せよの意)。本、主は檀質統經寶(※)を備え著せ。以て護己の清霊を各侍壇の諸弟子に授ける。而して魔の惑を退けるなり。

 

太歳壬申(1932年)十一月二十五日酉正 義誠 定敏 恭侍(※)

 

※化世樞府:至聖先天老祖の命に基づき、世界を運営する中枢。

※妙山玄宮:妙山は至聖先天老祖がおられる天界、玄宮は至聖先天老祖が住まう宮で「青玄宮」とも言われる。

※耳、釋、基、淸、儒:耳は道教(太上老君の特徴的な耳に由来する)、釋は仏教、基はキリスト教、清はイスラム教、儒は儒教。

※東北主樞:瀋陽にあった東北主院のこと。瀋陽が満州国に組み込まれても、東北主院は存続し、満州国内の道院の中心となった。また、この訓があった1932年は満州国の成立年でもある。

※各弟子は青玄を既に超し:原文は「各弟子既超青玄之後~」となっている。通常、青玄は至聖先天老祖の住まう青玄宮を指すため、「各弟子は既に青玄宮を超えた」となり意味が通じにくい。この文の前に、至聖先天老祖の前にいる諸弟子が悟り青玄に入ったと示されることから、「青玄」を悟りの境涯と捉えることもできる。また、すでに青玄宮内にいる諸弟子を超えたとの意味と理解することもできる。ただし、この理解は推測の域を出ない。

本、主は檀質統經寶:本、主は本院、主院のこと。檀質統經寶は白檀製の経宝(老祖様より授かる護符的なもの)だが、写真なども伝わっておらず詳細は不明。

※義誠 定敏 恭侍:訓文の冒頭または終わりに、その時に扶乩で乩筆を握った纂方(さんぽう)2名の道名が記録される。義誠、定敏は道名であり、当時の纂方である。恭侍は「恭しく(扶乩の壇に)侍す」の意。

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