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康聖誕日祭典(康聖略史)

 

鍾離 権(Wikipediaより)

  農暦辛丑年四月十五日に東南亜最高宗壇記念祭典ともに、康聖誕日祭典を実施いたします。祭典はどなたでもご参加いただけますので、もしご参加を希望になる方はお問い合わせフォームからご連絡ください。

  康聖は鍾離 権(しょうり けん)です。統院掌籍の孚聖(呂洞賓)の師匠とされ、日本の七福神に相当する八仙の一人として中華圏で有名です。康聖は統社掌籍として統院に祭祀されています。統社とは道徳社のことで、道院の初期に会報や書籍などを発行する母体として存在していました。康聖はこの道徳社を司られています。

 

康聖

   姓は鍾離、名は權。字は雲房。燕臺の人。號は正陽子。父は列侯で朝廷の官である。真人(康聖)の誕生時、異光が数丈も広がり、侍衛官はみな驚いた。生まれた時、その体はとても碩(大)きく三歳児のようであり、昼夜泣くことはなかった。七日目に突如として話し「身は紫府(天界)に遊んだ。玉京という名だった」と言った、

   壮年となり、漢の大将軍としてチベットへ遠征するが負けてしまう。その際、独騎で山谷に迷い込む。すると深林の中、胡僧(異国の僧侶)に遇う。胡僧に導かれ数キロ進むと一つの村が見え、僧は村を指し、「ここは東華先生()が成道したところです。将軍はここで休むことができます。」と言う。真人(康聖)は村の人々を驚かせることを恐れ、村には入らなかった。しばらくすると声が聞こえる。「この碧眼の胡人は饒舌なり(余計なことを話したなの意)」と。すると白鹿の裘(皮)をまとい、青藜(あおあがさ/背の高い雑草)の杖をついた老人が現れた。真人が声をかける前に、その老人が「来たのは漢の大将軍である鍾離權ではないか。汝、なぜ僧のところに寄宿しないのか」と誰にも素性を明かしていないのに言う。真人はそれを聞き、驚き、老人や僧が異人(仙人などの異界の人)であることを知る。しばらくし、真人は遂に度世(救世)の方を彼らに求めた。老人は長生の眞訣および金丹の火候、青龍剣法を授けた。真人が荘を辞去し、振り返ると荘は見えなくなっていた。後に先の老人である華陽真人()と再び遇い、太乙刀圭(医術)および火符内丹を伝授される。

 その他に雲遊(雲に乗る)し、魯鄒の城に飛んだなどの伝説がある。崆峒(山の名前)に入り、紫金四皓峰に居を構える。玉匣秘訣を得て仙人となる。詳しいは列仙傳に載る。

東華先生:詳細は不明だが東華仙人(上仙)という仙人のことだと思われる。東華仙人は孚聖(呂洞賓)の前世という伝承があり、本稿の康聖(鍾離権)は後に孚聖(呂洞賓)の師匠となる。

華陽真人:漢の時代の仙人。

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