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祀霊室公祭ついて

   3月13日(土)は農歴辛丑年二月一日にあたり、常儀礼を行いました。
   同日に祀霊室公祭も実施しました。祀霊室公祭は、道院の修方で帰道(死亡)され、その後に叙錫された方および入祀された方への祭典です。 昭和60年代まで行われていましたが、その後は何故か実施されてこなかった祭典です。

    昨年より祀霊室を整備しており、祀霊室公祭も30年以上ぶりに復活させることになりました。簡単ではありますが、この祀霊室公祭についてご紹介したいと思います。

 


【修方が帰道(死亡)するとどうなるのか?】
   はじめに修方の帰道についてご紹介します。修方が帰道すると扶乩にて至聖先天老祖にご報告することを基本としていました。その際に、亡くなられた方の修道の程度により、様々な訓が神仙より与えられます。会報誌より、一つ訓文をご紹介します。


(報告の呈報)  四目「和方(日本人修方)弟子横尾猛虎(道名・謙仁)は昭和二十一年六月瀋陽に於て帰道せり。生前道に対して篤誠にして尤も戦後、訓示に遵いて日本居留民の難民を救済して大いに尽力し労苦を尽くせり。現在その後裔(子孫)は帰霊の情形に対して極めて切に心に掛けあり。伏して判示を請い奉る。」


  黙真人訓「謙仁救済の功行は偉大なり、且誠一つにて訓に遵いて行い、霊炁清凝するを得たり。帰道せる後、翊安尊者の果位を賜り、各尊者に随ってなお炁霊を以て災厲(災厄)を弭化(消す)す、尤も東瀛(日本のこと)の無形の化渡を以て功嘉すべしと為す。
  茲に已(すで)に東瀛普善化弭真君の果位に晋(すす)みたり。農霊六月望日(十五日)に東京総院祀霊室に於て霊位を鎮祭し、  聖号百回奉称すべし。」 (『日卍字月刊』昭和40年10月号より)


訓文概要:横尾謙仁は日本人難民を救済されましたが、病により瀋陽で亡くなられました。生前の救済事業が賞され「翊安尊者」に錫位されました。その後も枢府(天界)において災刼の消滅に動かれ、特に日本の化渡(救済)が賞され「東瀛普善化弭真君」に改めて錫位されました。
  このように帰道された方の修道や外慈の深化、度合いにより、至聖先天老祖より果位を賜ります。また錫位されない場合も多くあり、その場合は継続して妙山(至聖先天老祖の住まう天界)にて霊修する訓文が散見されます。

 


【祀霊室公祭について】
    至聖先天老祖より錫位された修方は日本、海外の道院を問わず沢山いらっしゃいます。錫位された方々、また帰道された修方を永遠に紀念するために行うのが祀霊室公祭です。
   祀霊室公祭は仲春上庚の日、仲秋下庚の日に年二回行うと定められています。仲春は農歴二月、仲秋は農歴八月のことで、各月の最初の庚の日を上庚、二回目を下庚と言います(次回は仲秋下庚9月29日(水)となります)。
   お祀りしている錫位された真人や真君、菩薩や大士を、いずれご紹介したいと思います。

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