農暦辛丑年二月十九日(2021年3月31日)に蓮台聖誕日祭典を行いました。蓮台聖は観音菩薩のことで、女社掌籍として統院にお祀りしています。略史はこちらをご覧ください(蓮台聖の祭典は、今回の誕日祭典、成道祭典 農歴六月十九日、出家祭典 農暦九月十九日の3つがあります)。
また、この日、農歴二月十九日は道院史の中で重要な日です。1922年の農歴二月十九日に済南の地に最初の女道徳社、通称「女社」が創立した日です。当時は女性の社会的地位は現在よりもはるかに低い時代でしたが、そのような中で女性の修道を目的とした女社が成立したことは、とても画期的なことだったのではないかと思います。
昔の資料『世界紅卍字會の實態』より女社成立の部分も抜粋し転載します。
一、女社の創設
女社は済南に於て、壬戌(1922年)農歴二月十九日に創始された。之より先、前年(1921年)十二月二十日、老祖は黙靖(黙真人)の婦人、福緣(※)の母堂、仁性(※)の婦人に聖像及び道名を賜り、之と共に女社の創始を準備するように命ぜられた。
次いで翌年(1922年)二月十一日、蓮台聖の訓に「黙夫黙婦は深く吾が心の慈悲の旨を得たり。此次は主任正主任を推了する能わず。六課(後述)は仁婦を以て内課主任と為す。先ず籍を授く(※)。十九日再び各各一次の坐を指す(仁靜に指坐を命ず)。餘は均しく坐三庚(※)を過ぐる後、再び判す。無塵(※)を派して外課主任と爲す。暫(しばら)く福存を派して之に代す」と。
其處で是より各方の入修者を勧誘し、場所を設けて女社として二月十九日に正式成立した。
二、女社の内部組織
女社は前掲の蓮台聖の訓に有る通り、初めは六課を設けた。六課とは内課、外課、縫紉、織繍、桑蠺、烹飪(※)のことで、各課に正副の主任を置いた。
後に改めて二課十部即ち、内課に習坐、經籍、文藏、庶務の四部を、外課に慈善、宣講、縫紉、織繍、桑蠺、烹飪の六部を設けた。
済南女社成立の当時は唯だ主任を置くのみであったが後に黙眞が初代社長に任命せられた。其の後、仁靜、萓承が次々に之の任に当たっている。
三、女社に供奉する神位
女社における道慈の事務を主っている神位は蓮台聖(即ち観音菩薩)であるが、其の上にあって之を統べ給う神位はやはり 至聖先天老祖である。
故に女社に於いては 老祖(および五大教主)の神位および像と蓮台聖の神位を最も尊んでいる。此の他に監壇孟母仉仙位(孟子の母)、慈憫菩薩女社監坐位、守沙仙位、定基大士、各女社宣化菩薩、済南女社巡坐妙嫻菩薩位が各女社に共通に祭られる。なお、この他に各女社に特に神判を奉じて祭る神位もある。
四、女社の進修
(年齢の規定が記されますが、現在は廃された規定なので省略します)
五、母総社の規定
済南にある女社を母社と云い、北京にある女社を總社と名づく。その他、各主院の所在地にある女社は主社という。
六、女社の排名
女社にはそれぞれ扁額の四字を賜う。之は道院に扁額があるのと同様で、各修方はその四字の中の一字を頭文字とし之に排名字したのを道名として賜るのが例である。
※福緣:劉福縁。『真経』伝経時に纂方として乩筆を握った一人。
※仁性:劉仁性。一番初めに『真経』を拝領した48名の中の一人。
※先ず籍を授く:道院の役職を神仙より任命されること。
※三庚:一庚は10日間で、三庚は30日間。
※無塵:無塵は道名だがこの方の詳細は不明。
※縫紉、織繍、桑蠺、烹飪:縫紉は裁縫、織繍は織物や刺繍で高級な布を造ること、桑蠺は養蚕、烹飪は料理を指す。このことから女社は修道だけでなく、生業習得の機能を負っていたのかもしれないが当時の女社の資料は少なく実態は不明。