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立春 道院祭典の中で一番重要な祭典

   2021年2月3日に立春祭を行いました。

   この立春は、道院の多数の祭典の中で一番重要な祭典の一つとされます。

 

【立春の祭典について】

   道院は辛酉年(1921年)農暦二月九日に成立しました。この日は済南母院の創立日です。しかし、法的な許可はまだ得ていませんでした。

   法的にも正式な発足をしたのが西暦1922年2月4日の立春です。この日に『太乙北極真経』の版権と道院の法的な登録が当時の中華民国の内務部に正式に許可されました。この立春を正式な成立記念として祭典を行うよう訓があり、「至聖先天老祖誕像記念日及授経授宝紀念日」として、『太乙北極真経』の授経、聖像の顕現、道院の正式成立を祝う祭典を行っています。昔の会報誌に詳しく書かれております。当時の様子や規模を知ることができるため、長いですが抜粋して掲載いたします。

 

道院正式成立

   道院の創設は前記の如く1921年(辛酉)旧二月で既に初基は定まったが、『太乙北極真経』の版権と道院が相次いで内務部で許可登録せられるに及び、遂に1922年(壬戌)立春日に初めて正式に成立した。

  先に道院を創設して神位(御本尊)を奉斎せる時に訓有り、老祖曰「吾が位は式の如く為すべし。吾が像の現わるる時を待ちて、再び別に正式に開院すべし云々」と。

  当時は如何なる神意の存するかは知り得なかったが、1922年春にいたり、張修如、馬霊覚、杜霊成などの四人に神命下り、済南図書館屋上に於て、  老祖の空中撮影を恭しく撮影し奉(まつ)れとの訓示があった。四人はこの訓を奉じて撮影に当ったが、今日各道院に於て   老祖正位の上部に掲げ奉っている聖像はこの時の撮影に成れるものである。

   元来   老祖は天地人群物類を主宰したもう所の祖炁であって、無名無始、無体無方の宇宙創造の根源であるから、像の有るべき筈は無いのであるが、斯くの如く空中に撮影する所以(ゆえん)のものは、所謂「諸々の衆生に随って身を現す」もので、畢竟修道者は潔誠して之を奉斎するに資する為に外ならぬのである。故にこの時の顕相と道院の正式成立、更に最初の授経とを合わせて、道院の三大紀念と為し、至聖先天老祖誕像記念日及授経授宝紀念日として毎年立春の日に慶祝の六献典礼(※)を行うは、道基の堅固なること春日の生々やまざる如きを示すためである。

   以上創設時期は1921年旧二月の道院創設より1922年立春の正式成立まで一年間に過ぎないが、その間に行われた道務の施設に関するものを挙げると、誠に目覚しき進展を示している。左に之を列記すれば、

(A)院綱院則の草案作成

(B)道院を未だ開設せざる各地には先ず寄修所を設けることを定めた。

(C)道院正門の門額「道院」を賜書された

(D)千仏山に於て展重陽会の講演を為した

(E)道徳社を創設した

(F)道徳雑誌及び哲報の発刊

    又慈業の活動挙げれば、

(A)利津宮家堰の水災救済(※)を道院が率先して提唱し、之を実施た、

(B)貧民工作所の設置

(C)因利局(貧者に少額の資本金を無利子で貸与する事業)の開設

(D)第一小学校(貧困家庭の子弟への学校)の設立

(E)慈済印刷所を創設す

(F)道生銀行を設立

(G)残廃院(身体障害がある方の施設)を設立

   以上、各種の道務は悉く訓示を仰ぎ、衆力を集合して順次実行し、以て道院の世を救い災禍を防止し、衆生を普く済度する実を示した。

   道院創設の時期には各般に亘(わた)って大活動を展開したが、道院は徒に単なる信仰にのみ偏せず、積極的に大衆の幸福を計って、下元末刼の苦難より救済せんとする事業を次々に起こすのは、まことに世運のめぐりあわせに応じて神命を実行する為に誕生せる聖団なるが為である。

『東瀛道慈月刊』昭和三十二年五月号掲載の「道院及世界紅卍字会の概要」より

※六献典礼:典礼には六献典礼と五献典礼があり、六献典礼は全ての院(祭壇)を叩幕(祭壇を開帳すること)する正式な祭典。詳しくはリンク先の記事内にある「至聖先天老祖顕像記念日について」をご覧ください。

※利津宮家堰の水災救済:1921年7月に山東省利津宮家に水害が起り、救済活動、援助金などの救済事業を行った。

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