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日本総院(東京総院)六十周年と戦後の歩み⑧ 総院の扁額「誠正和平」について

     本年農歴壬寅十月一日、2022年10月25日(火)に東京総院は六十周年を迎えるにあたり、総院が創立するまでの経緯をまとめています。今回は、総院の扁額「誠正和平」が完成する経緯です。

 

◆扁額「誠正和平」について◆

  正位の上に掲げられている扁額「誠正和平」は、日音・日譯『真経』よりさらに遅く一九六六年に完成しました。

一九六二年

  香港総母宗の書画壇にて「誠正和平」原書と対聯、書画を賜る。書画壇の正確な日付、および扁額を記した神仙名は不明(他の院を参考にした場合、扁額が記される時は、至聖先天老祖自ら降臨されるか、統院掌籍孚聖が降臨されることが多いです)。

 

一九六六

・丙午年(一九六六)正月二十二日處科
   彫刻家 中里豊次郎、阿部夢涯によって扁額が完成。これを呈報する。
黙真人訓「東京総院扁額、彫刻され嘉する可し。これ扁額の正中上辺に、須らく統寶(※)一尊を彫刻するなり。懸掛の時、乾坤は聖號を一〇八回合誦する也」

  その後、訓に従って統寶一尊が彫刻され、三月に扁額が完成します(いつ掲げられたかは日付は不明)。この間、総院は原宿、市ヶ谷、六本木と移転を繰り返しました。一九六八年銀座に移転となり、そこで約五十年活動を継続します。その後、現在の新宿区落合に移転(二〇一九年)しましたが、正位にはこの一九六六年に完成した扁額が掲げられています。
   なお、遺憾ながら本来彫られるべき対聯は製作されず、原書も行方不明です。

※統寶:トンパオ。象形文字のようなマーク。統寶を紙に印字して、それを御守として持ったり、燃やしてその灰を飲むなどの訓文がある。済南母院の扁額にも統寶の刻印が見られ、道院の最初期から行われていたことが分かる。

 

 

 

 

 

「誠正和平」原書の写真。書を賜ってから、完成まで4年間の間が空きますが、その間は祭典時にこの原書を飾っていたようです。写真が残っています。

慧地(統教副掌籍・慧聖の自称)による対聯。冒頭の文字で「日本」となっています。対聯は板に彫られ、扁額と同じく正位前に掲げられるものです。これが彫られなかった理由は不明ですが、とても残念に思います。

 

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