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日本総院(東京総院)六十周年と戦後の歩み⑤ 南光亭特處科 孚聖訓

  本年農歴壬寅十月一日、2022年10月25日(火)に東京総院は六十周年を迎えるにあたり、総院が創立するまでの経緯をまとめました。今回は香港道院にて賜った日本総院の創立に向けての孚聖訓です。

  この訓が降ろされた扶乩の壇は、通常の處科訓が降ろされる壇ではありません。香港道院の屋上にある南光亭という香港道院の中の至聖所に設けられた扶乩の壇で降ろされた訓です(南光亭についてはこちらをご覧ください)。少し長いですがお読みください。

 

壬寅年六月十二日南光亭特處科

 

孚聖訓                       

            (侍壇者不明)

大道救世(大道による救世)

宣闡誠修(真理の宣闡と誠修にあり)

仰觀於天(仰いで天を観れば)

靑靑蒼蒼(その靑蒼に限りなく)

俯察於地(俯して地を察すれば)

渾渾穆穆(奥深く極みがない)

 

   万物は生々発展し、四季は交替して、万古に亘って休むことがない。その物質的に顕現する様相は、大道の作用であり、無形のうちにこの運行を主宰するものは、大道の本体である。本体は無形であって、目にも見えず、耳にも聞こえない。その本体を知るには、自ら内に修めてその妙趣を悟り、わが心の神性を自覚して、天地の力に官應するより他に道はない。

  吾が(編者註:自分の)行いを治めて、天地の運行と合せしめ、吾が行動を正して、以って天地の運行を正し、吾が心霊の刼を化して、以って天地の不正の気を化すのである。化はどこに顕われるかというと、功候に顕われるのである。功候はどうして明らかとなるかというと、静養において明らかとなる。静養の道は後天不正の私欲を化して、先天の光霊を放つに至るのである。修人は修坐によって功候を養い、道慈の真理を究めて心霊を明らかにすべきである。吾が心が明らかでなければ、その霊は光を発せず、その霊が光を発しなければ、炁胞の大化が本来の妙力を発揮して汚濁の萬刼を化し、清平の天国に到ることが出来ないのである。故に修人は願を発して求修するが、その願の功徳は広大無礙である。すなわち、功行を修めんことを願い、上乗に到らんことを願い、真諦を得ることを願い、衆生を済度せんことを願うのである。功行を修めなければ上達なく、上達に達しなければ、真諦は明らかとならず、衆生済度は不可能である。自らを救うことの出来ないものは他人を救うことは出来ない。自己を改変できないものは他人を改変することはできない。道院・紅卍字会を設立する所以は、この両者を等しく重んずるからである。道院は紅卍字会の本体として形を整えたものである。道院は最高の学府であって、大道の真諦を明らかにし、己れを修め人を救う真理を究める所である。人々をして信仰の真髄を自覚せしめ、人々の私慾の偏向を正して以て宏大なる四願を達成せしめる根本道場である。道院はまた有形の現象から無形の妙境に入る階梯でもある。それ故に道院を確立しなければ紅卍字会はその任務を果たす基盤がないこととなる。たとえ、一時うまく行くことがあっても、長続きすることが困難である。その上、紅卍字会は慈善救済を主とするもので、道院の対人的活動に外ならないのである。紅卍字会の慈善救済の大事業の成否は、一に道院宣闡の道旨が社会大衆の信仰を獲得できるか否かによって決定される。それはちょうど大地間の有形、物質的な化育が、すべて衆生の福利のためにあるようなものである。もし無形の主宰者が、その化育によってその節度を調和するのでなかったら、風雨雷電や山川河海は、人類及び萬物をことごとく壊滅させるに至るであろう。それはまた人間の肉体における五官(器官)や手足、また血管や全身の筋骨の如く、それぞれ役には立っていても、その働きはせいぜい百年に過ぎない。その永遠に不滅なるものは、ただ神性、炁霊のみであるのと同じである。もしただ紅卍字会のみあって、道院の重要性に気がつかないならば、それは水源のない流れのないようなもので、久しくなれば必ず涸れて、慈業を久しく保つことは出来ないのである。そもそも天地の大道が、深遠微妙で把握しがたいと思うのは、それが目に見えないためである。然るに道なるものは、瞬時も離れることの出来ないものである。日月星辰、風水雨火、春夏秋冬に於て、之を悟ることが出来るし、また人身の目に見える器官構造と目に見えぬ性霊の円明とにおいても、之を悟ることができるはずである。また萬物がそれぞれ道によって生じ、生成化育するのを見ても、之を悟ることが出来る。その全き調和を得た者と、幾分調和の欠けたものとの不同はあっても、修悟の際に、その欠点を悟って之を修め、その全きを得て之を養うべきである。功候が一たび増せば、その精霊は光輝やき、一言信ずる所をいえば、直に救済、教化の効を収めることができる。また、たとえ言葉に出さなくても、以心伝心の誠によって感通教化の功を顕すことができるであろう。

  それ故に道院における求修と道の宣闡が先決問題である。その上で始めて紅卍字会の慈業は隆々と発展し、永久に衰微することなきに至るのである、今や世界的な大刼瀰漫の時に当たり、人心は正しからず、欲魔の囚となり易い、小成に安んじて、奇を誇り異をてらい、貪欲の人心を刺激して救世教化の効を収めんとするものは、洵(まこと)に哀れむべきものである。それは真に世を救う大道の原理を疎かにして、末枝末節の方面に工夫を用いる為である。たとえ一時の成功はあっても、それは優曇華の花の如く忽ちに現れて消え去るものである。救世渡人をいかんせん。性霊の円明をいかんせん。化刼救世をいかんせん。人天相通をいかんせん。望むらくは各々詳参して審悟すべきである。

  道慈を推進展開してまさに各国に及ぼさんとするに当って、文字の間の阻隔がしばしば不便を感ぜしめる。それぞれ各種類の人材を集めて、以って渡世化日とのために用いることは、まことに重要である。各地の諸子は願を発してこの種の功行をなさんとする者が有れば、随時報告呈壇せよ。之を知れ。

  国際間の文字は不同でいろいろの研究や事務に当って物事に精通して処理することが出来ない。その上、風俗習慣伝習が異なり、地方により、時代により、時機に因って必ずしも一様に適応することができず、各関係者は常に対応の苦心を払っている。訓を伝えて苦心のほどを嘉すべきである。

  扶化、尋賢は誠心の大願を抱いて、広く日本各地に道慈を伝えている。福利の在るところ、深く慶慰に堪えたり、吾が道は須らく大処より着眼し過去の院会の経験を根拠として進行に努力し、将来は日本より欧米に推し拡めて、光明を正大に発揚しなければならない。その職責は非常に重要である、それ故に吾は命を奉じて再三懇ろに訓示したのである。望むらくは台湾に行って、篤慧、志清、龢昶等と共に詳細に協議を為して、一切を明瞭にすべきである。この基礎を創立する時に当って、些かでも錯誤する所が有れば、将来の偉大なる発展に影響するために、務めて心を虚しく公正にして、慎重に審議、処理することが肝要である。並びに悟天、弈霊と和哀共濟して協議を行い、処理し、その関係するところの重大なることには、更に一両人を加えて協議すれば、意外な効果を収めることが出来るであろう。

  それぞれ記して遵え。二子にはそれぞれ天爵一級を進めて、以って遠路より来れる苦労を奨す。更にそれぞれ統寶一尊を賜う。之を佩用せよ。

  篤慧、志清、龢昶及び各監理、男女役職修方の各方に訓を伝う。扶化、尋賢二子の台湾に到着せる時は宜しく招待を為し、聯洽して協議すべし。該會に於ては言語の隔たりない故に由る。まさに院会は共に重んずべきことの理及び院会を弁理する一切の章則手続きを篤慧によって主宰して詳しく明かに釈いて指導為すべし。切に切にこれを望む。

(呈報略。この訓により癸寅年十月一日の開幕が決定。)

 

 

特壇時の香港道院屋上の南光亭。不鮮明だが、前列中央の右は林出尋賢、左が大嶋扶化、女性を挟み、スーツの男性は香港道院統掌の王瀾観。(敬称略)

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