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正経経首誕像記念日祭典

   農歴辛丑年六月七日(2021年7月16日)に年8回ある六献典礼(老祖様に対する祭典)の一つである正経経首誕像記念日祭典が行われます。どなたでもご参加いただけます。ご参加を希望になる方は問い合わせフォームからご連絡ください。

 

【正経経首誕像記念日祭典とは】

  道院の根本経典『太乙正経午集』を開くと、最初に「至聖先天老祖聖像」と題された一見すると何も映っていないような白黒の写真が載っています。

   この何も映っていない写真が聖像です。人により天目が開くと見える、と言う人もおりますが、この無相の聖像に意味があることが説かれています。「老祖は本来無相にして有相。斯の如く聖像を表すは、読経する者をして研経の際に、恰(あたか)も、  至聖先天老祖がその上に在すが如く誠敬の念を増さしめんとせるものである。」と説かれ、無相即有相である原理が示されています。この無相の聖像を賜った日を祝うのが正経経首誕像記念日祭典です。

 

【誦経する前に聖像黙視を行う】

  もう一つの経典である『太乙北極真経』では冒頭にある「玄印」を「鎮経黙視」の掛け声とともに数分間(約1分)、静かに黙視します。これと同じく、『太乙正経午集』もこの無相の聖像を「聖像黙視」として静かに視て心を鎮めます。

  孚聖様はこの聖像は人々を救い、様々な刼(天災、戦禍など)を消し去るのがこの聖像であると説かれています。

   この聖像を賜った際の文章を下記にご紹介します。

 

『太乙正経午集』の経首、聖像の空中撮影

  先に『太乙北極真経』が伝授された時に各修方に命じて済南場外の千仏山(※)に於いて、  聖像を空中撮影せしめたが、今回は再び母院(済南母院)と総院(北京総院)の幹部職員6名(母院から緣、修如、宣望。総院からは素苞、慧航、靈易※)に命じて、癸亥(1923年)六月初七日に千仏山に赴いて、聖像を撮影せしめ、その後、訓示により之を経首に印刷せしめたのである。

  蓋し、  老祖は本来無相にして有相。斯の如く聖像を表すは、読経する者をして研経の際に、恰も、  至聖先天老祖がその上に在すが如く誠敬の念を増さしめんとせるものである。

  千仏山の空中撮影の前に  老祖詩を示して曰く

『萬有彌綸一炁生(萬有全てをくるみつつみて一炁生ず)

   個中消息盡持平(個中の消息悉く平を持す)

   關關運化須無相(関関たる運化、須らく無相)

   却在因昷凝更形(却って天地の合気に於て凝りて形を更う) 』

   この日は陰雨が降っていたが、その時刻になるとたちまち晴れ渡った。

   また孚聖の詞有り曰く、

『大雨滂沱山隱微(大雨滂沱にして山隠微なり)

   偶從罅漏得晴暉(偶々すきまより晴れたる光を得て)

   嵐光樹影流難定(山の気が昇って日に映え、照らされた樹影は定まり難し)

   一片彩雲來去飛(一片の彩雲が飛び来たりて去っていく)』

  また曰く「  老祖の真相を現す所、大地春回し、天人共に慶ぶ。衆生を苦海より救い、万刼を無形に安ずるは、全く斯の像に在り。各修方、それ各々重視せよ。明日正午に現像したる後に、母壇に供え毎日掌監は相対して四十九叩首の礼(※)を行い、十五日後に判示を聴くべし(※)」と。

(東瀛道慈月刊昭和32年8月号内の「道院及び世界紅卍字会の概要」より。漢詩は原文より掲載)

※千仏山:済南にある山で多数の磨崖仏が刻まれたことから千仏山と言われる。現在も観光地として栄える。道院にとって重要な山で『太乙北極真経』を賜った際に、最初の聖像撮影が行われた地である。

※幹部職員6名:詳細は以下の通り。

緣:劉福緣。『太乙北極真経』伝経の際、扶乩の纂方を務めたお一人。『太乙正経午集』伝経では侍壇し、壇の運営を仕切る。

修如:張修如。済南の図書館屋上での聖像撮影でも名前を連ねる。

素苞:喬素苞。大商人であり、後の成基真人。

慧航:孔慧航。道院の最初期の記録に名前が見えるが詳細は不明。

その他の宣望、靈易は詳細不明。

※四十九叩首の礼:叩首の礼は膝立ちから頭を床につけて礼を行うこと。これを四十九回行う。現在でも『太乙北極真経』『太乙正経午集』ともに誦経が進み、ある箇所に至ると誦経者でこの四十九叩首の礼を行う。

※十五日後に判示を聴くべし:十五日後に扶乩で神仙に判断を仰ぎなさいの意味。なお原文では判断を仰いだ回答として聖像を經首に掲載することと、「老祖は本来無相にして有相。斯の如く聖像を表すは、読経する者をして研経の際に、恰も、  至聖先天老祖がその上に在すが如く誠敬の念を増さしめんとせるものである。」という訓がある。

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