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昌佐神(諸葛孔明)&二宮尊徳誕日祭典と劉備玄徳 のこと(昌佐神略史)

   農歴辛丑年七月二十三日(2021年8月30日)に昌佐神(諸葛孔明)誕日祭典と二宮尊徳誕日祭典を行いました。

  昌佐神とは三國志の諸葛孔明です。統院に副掌籍として祭祀しており、扶乩でも沢山の訓文を残されています。

  二宮尊徳も同日に生誕され、宣院に副掌籍兼佈道使者として祭祀しています。

  昌佐神は軍事政略に才を発揮され、二宮尊徳は治世に才を発揮されました。二宮尊徳を調べると穀物の状況から未来を読み、飢饉を予測し乗り越えるたことが記録されています。その他、領民を富ませる経済施策を行い、その富から福祉を充実させるなど先進的なことを行っています。このことから考えると、この日に生れた方は明晰な頭脳を持った方なのかもしれません。

  それでは『聖哲略史』より昌佐神の略史を転載します。

昌佐神

  姓は諸葛、名は亮、字は孔明。漢の瑯邪郡の人。早くに両親を亡くし、一人となり、叔父の玄を頼る。荊州に避難したが、玄が亡くなってしまう。

  南陽にて自ら耕し、聞達(名を世に広めること)を求めず、毎日自ら楽器を弾く生活を送る。照烈帝(劉備玄徳)自ら草廬に三度尋ね、ついに帯を解き誠に赴き、お互いに厚く約束を交わした。策を建て、紓(ゆるやか)に謀りごとを巡らせた。戎(異民族)を治め、民を理する(治めた)。

  蜀漢に偏安(一地方に安泰する)すること三十余年仕える。史書は統治の良才を管仲、蕭何(※)に匹敵すると記したが、信じるに足る。詳しくは三國志本伝に記される。

※管仲、蕭何:管仲は太子・小白を助け亡命生活を支え、最後には名宰相となった春秋時代の人。友人の鮑叔との管鮑の交わりで知られる。蕭何は前漢を立てる劉邦を支えた宰相。

 

 

【劉備玄徳のこと】

   道院には、統院に昌佐神(諸葛孔明)、関聖(関羽)。桓聖(張飛)をお祀りしています。しかし、その主君である劉備玄徳は祀られていません。これにつき、面白い訓文があるのでご紹介いたします。

   重慶道院で行った扶乩の訓文を集めた本『渝院道訓彙編』に、「劉備の地位は如何に?」という神仙への質問があり、濟佛様が扶乩で回答されています。

 

濟佛訓の抜粋 

  照烈帝(劉備玄徳)は四十余年、一地方に安寧に過ごしたといえども、人としては梟雄(野心と狡猾さがあること)の極みを為したのみである。故に功も無く、過ちも無いと言える。そのため、聖帝(関羽)、桓候(張飛)、昌佐神(諸葛孔明)が、至聖先天老祖に力を尽くして照烈帝のために懇願した。それにより始めて先天の坐を得て、人間からの香火を受けるようになったが、その果位はただの一神に過ぎない(かろうじて神の位、程度の意味)。

 

「天地心」昌佐神筆の書画壇で書かれた画。「華普」は道名で、この画を賜った方。

 

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