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修道とは① 「道とは何か」──『經坐輯要』より

 

 

 

   各神仙が扶乩で降ろされた訓文には「修道」という言葉が何度も出てきます。字の如く「道を修める」ことであり、具体的には先天の坐を行い、誦経を行い、外慈(慈善活動)にいそしむことです。そして、その行為の後ろには深遠な玄学が含まれています。

  冊子『經坐輯要』には、初修の人がわかりやすいように、この玄学がまとめられています。道院に求修されていない方にとっても、道院の理解にも役立つ内容になっており、これから数回に分けて訳を転載し、道院の一端をご紹介できればと思います。

   今回、ご紹介するのは一番重要でありながら、一番難解な「道」についてです。下記より  冊子『經坐輯要』となります。

 

【道とは何か】 

    慧聖

    「道はどこから来るのか。無極(※)から来たる。道は誰が生んだのか。炁胞(※)より生ず。炁胞は何より生じたのか。青玄において孕む。青玄とは何か。 老祖の居なり。」

    ※無極:宇宙の根源を示すとされる太極が生じる前の、陰陽も宇宙も生じる前の世界を無極といい、道院では無極を重要視する。

    ※炁胞:先天の炁の源。一炁胞なども同じものを指し、そこから無数の炁が生じ、後天の気に化して万物が生まれた。

     

    孚聖

    「道は本来、先天から生まれた。先天とは何か? 理(※)である。理は何より生まれたか? 一炁胞なり。炁は化(※)して萬物が皆生み、炁が凝りて萬途同帰(※)を為し、これは自然の明らかなる徴(しるし)なり。炁とは何か? 老祖の本體なり。無物は而して有物、有生は而して無生。何がこれを主(つかさど)るか? 老祖なり、即炁なり、即理なり、また即大道なり。道旨が世に関わることは、大なるかな!」

    ※理:ことわり、法則の意。

    ※化:変化のこと。無から有への変化、有から無への変化。先天から後天、後天から先天への変化。

    ※萬途同帰:すべての様々な道は同じところに帰すること。 

    また曰く

    「道は先天に在り。始まり無く、名も無し、ただ囫圇(※)の一氣なり。それは後天に在りて人が生まれ、物が生まれ、萬有を包み涵(うるお)す。人はこれを論じ、生まれて以来、人は道に従うようになった。道は人身にあり、即ち性(しょう)(※)がこれなり、それ性は心に寓し、世に応じる。人の心とは是に在り。道は是に在り。」

    ※囫圇:こつりん。完全の意。

    ※性:英訳するとNatureであり、純然たる本質であり、法則そのものでもある。

     

    至聖先天老祖曰く

    「吾老人(※)は、即天であり、即地であり、即人であり、即物である。一切の萬靈萬類の中に吾が存在しない所はない。須らく知れ。吾は即道、道は即吾である。」

    また曰く「吾の道は宇宙を包し、萬物を含む。此れを大道と謂う。」

    また曰く「今、各々は道を為し、道を悟るべし。乃ち天地萬有を生んだのは道であり、天地萬有の外にも、さらに知られていない幾千百萬の天地萬有があり、皆道より生じ、道より化した」

    また曰く「道は天地にあり。纖(こまか)く微(かすか)の体物も、含まないものは無い。人身に於いても、細かく小さな胞絡も、含まれないものは無い」

      以上の訓を読むと、道とは理なり、炁なり。生生化化の原動力なり、天地人物に母であり、萬能萬全の真の主宰であることを知るべきである。

    ※吾老人:吾は我、老人は老祖様の自称

     

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