農歴八月一日にあたる2020年9月17日に、常儀礼と尚真人(ショウシンジン)誕日祭典を執り行いました。
【常儀礼について】
常儀礼は農歴の一日(朔)と十五日に行われる基本的かつ重要な祭典です。
写真ではお見せできないのですが、常儀礼の時は正位、六院、祀霊室、祀霊室の全ての扉(幕)を開けて祭典を行います。普段は扉(幕)の閉まっている各院が全て開き、御神位と相対することができるのは常儀礼と六献典礼の時のみです。貴重な祭典です。
【尚真人について】
扶乩を司る壇院の掌籍(ショウセキ/院の主宰)としてお祀りしています。尚真人は道院の発祥の契機となった神仙です。詳しくは「道院の概略」をご覧ください。尚真人は当時の様々な問い(病気や人生上の悩み、仕事のことなど)に扶乩を通して答え、信徒を指導されていたと伝わっています。
現在、扶乩はご神意に沿って行われてはいません。しかし、 誕日祭典に参加されれば尚真人は現在も修方を導いていらっしゃると実感いただけると思います。
以下、冊子『聖哲史略』より尚真人の略史を転載します。
壇院掌籍 尚真人
名は正和、字(あざな)は履平。汾西(※1)尚家荘の人。唐の第一甲子農歴八月朔に生まれる。開元(※2)の時、朝廷に召されるが応じることはなかった。天祐二年二月二日に身を化す。南宋に渡り、道成し仙籍に入る。別號は眞宗山人。民国5年、6年には、山東省濵縣署内の仙祠の扶乩に降臨し、壇に侍す諸子に道名を各々に授け、その指導の様子は対面しているかの如く、師と生徒の如くであった。また、扶乩により人々に立身處世の道を教える詩文、また世俗の苦しみを憐れむ詩文を訓示した。
やがて道慈の機が動き、ここより道院が発祥する。まさに道院の元勲なり。現在道院においては、壇院掌籍である。
※1 汾西:山西省の一部の古名
※2 開元:唐の年号(713~741年)
※3 天祐:唐の年号(904~919年)
(写真解説)壇院は中央の院です。
壇院だけは他の祭壇よりも長いものが設置されています。道院成立時、扶乩はこの壇院の前にて行われており、扶乩の「沙盤(サバン)※」を置いたために他の院よりも長いものが設置されているのです。
※沙盤:砂を引き詰めた盤で、乩筆(T字形の木製の棒)を持つ纂方2名が両側から立ち、乩筆を通して神仙が沙盤に文字を書き、神示を与える。