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世界紅卍字会創立100周年③ 紅卍字會の定名「世界」

 

 

紅卍字会の戦区の難民収容所。中国の詳しい場所、年代は不明

 

   創立100周年を迎える世界紅卍字会について解説しています。『道慈綱要 卍字篇』の翻訳で、解説の続編です。まだお読みでない方は、先にをお読みください。今回より「世界紅卍字會」の名称解説となります。

 

甲:世界

  世界とは宇宙を意味する。「世」は天地の間に同居すること。「界」はそれぞれが有する別を謂う。過去、現在、未来は世を為し、東西南北上下は界を為す。世と界を簡称すれば、世生、界境、隔、限、分割である。また仙界、塵界、鬼界、三千大千世界である。また、世界は平和に発達することを目標とし、然して一國一地に偏らず、世界全体を主義とする。

  それ三千大千世界ということは数が多すぎると謂える。過去、現在、未来は世を為し、また仙界、塵界、鬼界の別がある。ではこの「世界」は果たして何を指すのか。吾ら人が行う慈の対象を広義に言えば、塵界に限定されることではなく、即過去、現在、未来また仙界、鬼界に至り、三千大千世界に均しくこれに及ぶ。これは吾ら人の慈の量に依存し、超度亡霊()の救は鬼界に及ばないことがあろうか。仙界は固より人を待たず。然して人が能く刼を化せば、天地清寧、仙佛もまた靜養され、霊を清め、降世し佈化する必要もない。このように仙界に及ばないことがあろうか。至れば澤及枯骨(死者の救済の意)し、救は螻蟻(虫)にも及び、また物類にも及ぶ。

※超度亡霊:亡霊を救うこと。超度は死者を天界に昇らせる意。

  狭義について言えば、吾ら人の居するは塵界である。人や物は林林総総形形色色()で、ある種やある人々といくら個別しても全てを数え、識別することができない。また、種族の別、国籍の違いさえもある。汝と我をしっかりと見ても、己の身以外は均しく見ることができない。ましてや一家、一郷、一邑、一國、一世界の人々は論ずるまでもない。物類、さらに他世界(※)は推するしかなく、その実際を究(推測)するのみである。(対象を正しく理解できないため)人が人を救うことは難しいといえる。

※林林総総形形色色:林林総総は数がとても多いこと、形形色色はあらゆる形、あらゆる色のこと。総じてあらゆる種類の人やものが沢山あること。

※他世界:ここで言う他世界とは、別の国や種族の意、仙界、鬼界などの異界の意、過去現在未来の区別の全ての意を含めていると推測される。以下で用いられる他世界も同じである。

  また、物を利する(※)をいえば、(その効果は)他世界に及ぶがすぐに元に戻る、或は無駄になることがある。さらに言えば最も近い人を、人が救うことはかえって難しいのである。より遠くにいる者を簡単に変えることができようか。またこうも言われる「人は慈を行わない。利を追う心は太重である。人と人の習慣は同じであり、欲も同じであり、味わう口も同じであり、皆同じものを好む。お互いに交接することはあまりに利害関係が多い。もし貧心不足ならば他者の範囲を侵し、争攘の原因となり、これは果てしない近世戦争の明證である」と。

※物を利する:人以外のものを救う、利すること。動植物を守る、山河川の整備など。

  だが、いまだ人と物とが争うことは聴いたことがない。習俗や法則、習性はおのおの異なることにより利害の衝突は本来ない。他世界は更に論ずるまでもない。故に人は能く人を濟し、物を利することはできないことはない。更に易く他世界をも利することができる。ただ、敬いと利欲の私を去ることが必要であり、天地の心を我が心と為し、物、我ともに忘れることである。これにより人や物を利することができないことがあろうか。これによって他世界に及ぼすのである。

   以上のことにより「世界」の二字とは三千大千世界のことであると解することができる。己の世界を利することで、必ず他世界を利することができる。能く一つの世界を利すれば、必ず無量恆河沙数の世界を利することができる。この世界と彼の世界を分ける必要があるであろうか。

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