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世界紅卍字会創立100周年④ 紅卍字會の定名「紅卍字會」

戦地における救援隊(年代・場所など詳細不明)

 

 

   創立100周年となる世界紅卍字会について解説しています。『道慈綱要 卍字篇』の翻訳で、解説の続編です。まだお読みでない方は、先にをお読みください。今回より「世界紅卍字會」の名称解説となります。

 

乙:紅卍字

  この三字は人の目によく留まる。この三字を一つの連なりと為す必要がある。「卍」は主体をなし、「紅」は「卍」の色を形容する。並びに「卍」の表明は単なる文字ではない。これは特に外に立言(宣言)を表している。この三字の真義の所在は未だ深く思われていない。紅卍字の三字は各々独立し、各々精義を有し、各々効用を有する。「紅」は単なる形容詞とは言えない。名詞とは言えず、動詞を為していることを知る。尤(もっと)も「紅」「字」の両字を「卍」の付帯物としてはならない。この三字は互いに相相対し、その功効を顕す。茲(ここ)に一つ一つ詳しく解説してみよう。訓文の意に参ずれば、理解は難しくない。

 

1「紅」


  紅は洪であり、洪は大を意味する。紅は赤色を為し、赤子の心を意味する。赤子の心とは何であろうか。ただ空であり、ただ公であり、ただ誠であり、空空洞洞(※)の大公無私、一片の赤誠である。我見も自己欺瞞も絶無である。紅色は皎日(コウジツ・白い朝日)が東から昇る様子であり、普く大千を照らす意である。三角鏡を以って屈折させれば、紅橙黄緑青藍紫の七色を為す。紅色は第一位に居し、紅が深くなり紫を為し、紅が薄くなり橙、黄を為す。また紅は南方間の色とされ、南方の離(☲)は火を為す(※)。火性は炎上し、光明は遠くをも燭(照)らし、蓬蓬勃勃(※)の象である。また化(変化)であり、隨(変化によって起こる関連の変化)である。陽気が用いられると萬物は隨変する。人は正しく化し、無形に刼を化し、光明は盛實となる。また紅は公、功に均しく通じ、以って大公の心を持って工作し、而して功有り。


※空空洞洞:空っぽであることを強調する言葉。
※南方の離(☲)は火を為す:八卦において、後天の南方の卦とされるのが離(☲)
であり、五行では火の卦とされる。
※蓬蓬勃勃:蓬は生い茂る、勃は隆盛の意で、勢いがあるさまを形容した言葉。

 

2.「卍」


  卍は梵字であり、萬と読む(※)。楞厳経(※)では、如来の胸より卍の形に光が湧き出て、その光は晃晃として輝き、千百の色を有したと説く。卍は萬を意味し、古銭にも刻まれている。『華厳音義(※)』では卍は本来、字とされておらず、武周の長壽二年(693年)に「天樞において卍の音は萬とし、吉祥萬徳の集まるところ」と定められた。
  中国の古代にはこの卍の字はなく、西欧のとても古いラテン語にこの文字があり、卍字を講じた厚いフランス語の一冊がある。この本では欧西の人の心目は一卍に有りとする。これにより吾ら卍字會は欧美(ヨーロッパとアメリカ)に推し進めていくのは、誠に難しいことではないと言える。また卍は我が佛の胸前の字であり、圓活(融通無碍の働き)を示す。


  卍はどうしてこのような形となったのか。蓋し卍は十を起点とする。十は河図(※)の満数である。満は溢れるべからず。必ずその活を求める。故に十字が運し動する象が卍を成す。卍の変化は無窮であり、(その千変万化の)その速さにより、恰も〇象(円象)を為す。至誠不息、天理循環するところに至り、物の義(現実世界の運行)は滞ることはない。

  また卍と萬は通ずるがその大数を喩えると、萬には限がある。蓋し、卍は無辺無際で、上下四方六合も内に包蔵しないものはなく、普遍でないものは無く、圓通しないものはない。曰く、萬の衆が全て覆われるほどの大きさ、恆河の沙でも足りないほど多い、須弥山よりも大きいと言われる。

※萬と読む:卍と萬が中国語では音(wan4)が同じ意。
※楞厳経:リョウゴンキョウ。大乗仏典の一つ。
※華厳音義:華厳経を解説した本。
※河図:河図洛書のこと。八卦や五行の大元の思想が書かれている。

 

3「字」


  字は愛なり。書経には「父不能字厥子──父、厥(その)子を字(愛)する能はず(※)」、左傳には「肯字我乎──其れ、肯(うべなう)我を字(いつくしまん)(※)」とある。「字民」とは「愛民──民を愛する」ことである。故に紅卍字の三字は、誠を以って衆を愛すると解する。また「字」についてこうも言われる。愛の字と解せずに「紅卍會」と簡称するほうが良いのではないか。なぜ一字「字」が多いのか?。しかし、何があろうともこの定名を用いることが重要である。

 

4 「紅卍會」


  「紅卍會」という簡称の重要な要義を簡単に解説する。「紅卍字會」のように大きな相互扶翼(扶養)をする事業はない。さらに、目的を同じくする人々の集合を目指している。他の団体組織と共同しお互いに結び合するのである。外に完全に開かれることを意義とし、差別なく、志を同じくする人が会するのである。その時が「卍會」という略称を用いて適時であると(紅卍字会と志を同じくする皆が)悟り、理解するだろう。これに応運し、慈善団体の集合体を創設し、卍會のところに独自に具(そな)えるのである(他団体を包括したもう一つの団体を、卍字会を中心として設けるの意)。

※書経に「父不能字厥子」:『尚書』の康誥にある言葉。「父、厥(その)子を字(愛)する能はず」は「父はその子を愛することが出来なかった」の意味で、字は愛するの意味で使われている。
※左傳「肯字我乎」:『春秋左氏伝』の成公四年にある言葉。「其れ、肯(うべなう)て我を字(いつくしまん)や」は「どうして私を愛さないのか?」の意味で、「字」は愛しむ意味で使われている。

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