去る9月19、20日に『太乙正経午集』の誦経を行いました。ご参加くださった皆様、本当にありがとうございました
〇『太乙正経午集』とは? その1
『太乙正経午集』は癸亥(1923年)に、扶乩によって伝授された道院の根本経典のひとつです。その量は膨大なため、一日で誦経するのではなく、日本総院では2日間かけて行います(海外の道院では4~6日間をかける所もあります)。
『太乙正経午集』の尾聲に「正経を伝え、刼から救い、運數(運命)を出で、乱を消し悪を除く」と老祖が明示されている通り、誦経者は刼數(数/運命)乱悪を除くことを祈念して誦経します。また、前後に益靈化刼咒を誦するよう至聖先天老祖より訓示されています。
益靈化刼咒は第一、二、三咒があり、第一、二咒が疫病を防ぐため、第三咒は政変などの人為的混乱や兵火を止めるための咒です。益靈化刼咒を老祖が示された際の訓を掲載いたします。
「老祖訓
各弟子の発せる所の願は、亦各弟子個人で負う所の責任である。各各(それぞれ)この理を悟り及びて、 必ず先づ経咒の化刼力量は四分有り、而して各弟子個人その力を以て功行を為す力量は六分有ることを明らかにすべきである。六分の力量を、一分も尽くさなければ、則ち前途は更に想像も及ばぬ程となる。これ功行は気を以て貴しと為す所以である。坐を修むる者は道に於いて気を平かにし、人を救う者は慈に於いて気を平かにする。所謂内外に偏せざることは、是に於いて之を覘(うかが)うことが出来るのである。若し人を救はんとするに、必ず先づ己を救ふを以て功と為すのは、則ち不当である。所謂、捨身救世は己身を必ずしも捨てること能わず。捨身救世能わざれば、必ず盡へと我人と同帰す。この前途の杞憂は更に重なるのみである。
老人が益靈化刼を重大と為さざる得ないのは何故であろうか。その霊を益する能わざる者は、則ち気必ず平らなる能わず。その平なるを得なければ即ち鳴る。
これ人を救ひ己を救ふに、必ず当に内外偏せず、而して内外皆救はんとする為である。
老人が責を負ふ首領の各弟子と約するに、能くその責任を負って、大道を推行せしめたならば、則ち益靈化刼咒は、必ず十二分の功効有る可し。
その責任を負わずに、以って人を渡(すく)い己を渡(すく)うを為し、人を救い己を救う功行、苦を楽、憂を喜に変えることは、自ら平とすること能わず、十二分の功効は、必ず減じて三分と為るのみ。或は更にこれより甚(はなはだ)しきは、則ち老人が言う必要なし。各弟子は均しく発願して来り、或は能く其の全責を負いて、大道を推行せしむることを得れば、浩刼を目前に化すのである。
(益靈化刼咒の第一、二、三咒の訓あり)
以上の三咒は、明日各正経を誦する者は、先ず一、二両咒を誦し、各三十六遍を、正経を誦する前後にそれぞれ之を誦するなり。第三咒は、則ち次の日に経を誦し畢(おわ)れば、それぞれ七十二遍を誦するなり。各各切に記して、一字の訛(あやまり)有るべからず。
第一、二咒は瘟疫(疫病のこと)を防ぐ用にして、第三咒は則ち事変の倉卒に起きる兵燹(兵火のこと)浩刼の為なり。各弟子は務めて当に重要とみなすべきである。一面各弟子の誠心に由って之を誦し、一面各弟子の力量に応じて功行を為せば、方に能く大効を収めるのである。各弟子それこれを研悟し、自から其の当然なるを知るのみ。(丙子八月初八日行宗至虚亭益靈化刼咒壇)」