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『太乙北極真経』その③ 太乙北極真経経名釈義

   『太乙北極真経』伝経100周年を迎え、数回に分けて『太乙北極真経』を紹介しています。

 

【孚聖訓 太乙北極真経経名釈義】

   今回は統院掌籍・孚聖様が書かれた「太乙北極真経」という経名の解説です。造化の原理が経名に込められていると説かれています。易経、五行などと難解ですが、初心の方も大略を理解できることを企図して、註釈を入れました。参考になれば幸いです。

 

太乙北極真経経名釈義

  太とは何ぞや、形の〇の如きものである。乙とは何ぞや、象の∫の如きものである。北とは何ぞや、太陰の方であり、又坤(※)でもあり、坎(※)でもある。極とは何ぞや、際限がないことであり、又終わりでもあり、始めでもあり、首でもあり、有でもある。真とは何ぞや、先天の炁であり、亦後天の気でもあり、性(※)でもあり、霊でもある。経とは何ぞや、唯一無二の道であり、亦進退の路でもある。おもうに無よりして太、無形よりして有象、先の先よりして後の後に化するのである。さかのぼってみると無極が動いて太極を生じるのは、〇にある∫がある如きものである、太極が動いて両儀に分れ、両儀に分かれて陰陽が立ち、陰陽が立ちて万物が成り、これに順(したが)って人を生じ物を生じるのである。

  太極が既(すで)に動く以上、陰陽は何に由(よ)って分かれるのであろうか、おもうに先天の玄玄の元炁が、これをたとえれば北極に降りるのでる、北極とは、陰水の源である。先天の炁が降り化して後天の気となり、軽く清きものは天となり、重く濁れるものは地となる、そこで天地が立ちて陰陽が分かれ、日(太陽)はその純陽に比し(なぞらえる)、月はその純陰に比すのである。

  故に経の偈にいわく、元炁純存(先天の炁が降る)して、水精初めて動く、茫(広莫としているさま)たり昧(くらいさま)たり、中に至道あり、光明生動して、乃ち赤精(北極の陰精)を生じ、精流れ神伏して、水降り光升る(清が昇り濁が降る)と。経にも又いわく、北極太淵と、これは北極が陰水の源であり、坤坎の方であることを指しているのである。真一が惟在るとは、即ち先天玄玄の炁が、陰水の中に藏されているのである。

  太乙北極とは、これ天地の本、万物の源、造化(大自然)のはじまり、陰陽の由って来たるところである。この先天の元炁は、後天の真気を化生して、生生芸芸(生々して盛んなるさま)する唯一無二の大道である。

  そもそも北極とはその陰の極み寒の極みを言うのであり、仙仏ですらこの境には達し難いので、人や物はさらに企(くわだ)て及ぶことは難しいのである。しかし、陰の極み寒の極みといえども、その中には真陽が内に在るので、即ち☵の中の陽である、故に能く天地を造化し、万物を生成するので、皆この北極の陰中の陽に頼っているのである。

  陽とは何であろうか。すなわち霊光である。北方は先天の卦では坤陰であり、後天の卦では坎の方である。五行によれば亦水の方であり、五常によれば智の方である。五行によれば皆一つの土につながっている。土とは先天の炁を譬(たと)えているのである。土能く金を生じ、金は水を生じ、水は木を生じ、木は火を生じ、火は土を生じ、土より始まって又土に終わるのである。

  人身に在りては、土は気宮に居り、天地に在りては、土は中に居り、四行(四季)は土に頼って以て生成するのである。

  おもうに陰中の真気なるが故に坤は地に比し(なぞらえる)、地は土に比すのである。五常(すなわち仁・義・礼・智・信の人倫の大道)によれば皆一つの信の字につながっている。信が中に居り、信が義(西なり)を生じ、義が智(北なり)を生じ、智が仁(東なり)を生じ、仁が礼(南なり)を生じ、礼が信を生じるのである。すなわち信は土に属し、義は金に属し、智は水に属し、仁は木に属し、礼は火に属するのである。(五行五常対応の図が出ます

  何を以て智水というかといえば、亦北極の陰中の陽を指しているのである。智は道においていえば即ち炁であり、人において言えば即ち霊である、故に儒祖(孔子)の仁山智水(註一)とは、即ち生々の本源を言っているのである。耶祖が霊炁(聖霊)を水の内に降ろすのも、又生々の本源を指しているのである(新旧約中の創世紀に見られる)。各教祖が述べているところの経文は、皆この理と同じで、この意味と同じなのである。

  形あり、象あるものを、天といい地といい、無形無象のものを、陰といい陽という。易の卦で天地否(※)というのは、生ではないのである。必ず地天泰(※)といって、生となるのである。陰といい陽というのが生である、陽といい陰といえば則ち生ではないのである。おもうに生を言えば必ず陰より出るのである。故に陰陽といって陽陰とは言わないのである。水火と言って火水とは言わないのである。おもうに水火であれば、則ち済り(水火既済※)、火水は未済(未だ済らず※)である。これによっても天地万物が皆太乙北極の陰水のから、陽光が生じて造化の本源と成ったことが推測できるのである。

  人も又太極である、一小天地である、亦陰陽水火五行五常(註二)を有しているのである。太乙は人の脳中に在り、北極は人の気宮に在る。精宮の上、丹田の下の牝牡(註三)が是(これ)である。又即ち祖炁でもあり、又即ち気海でもある。又坤坎の方でもあり、又即ち至陰(陰の極み)至寒(寒の極み)の境でもある。

  人が能くこれを修めれば、これにより霊が至りて真となり玄となることができる、この逆行というのは、天にして太にして無にして渾の如きものが是(これ)である。人が順行して化し、人となり鬼となり、(又堕して物となる)若(ごと)きは、又天が順行して天地を生じて万物を成す如きものである。これ乃ち

老祖が無にして太より天地を生成し万物を造化するところの由来を述べたのである。望むことは諸方の弟子が本源をはっきりと見きわめ、修行して以てこれに返ればよいのである。これ即ち経名の太乙北極の由来について言(かた)ったのである。

会報誌「日本卍字月刊 平成2年12月号」 原文「処科訓錄 巻六」に掲載

  駐一、仁水智水、論語に「子いわく、智者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ、智者は動き、仁者は靜かなり、智者は楽しみ、仁者は寿(いのちながく)し」とある。

  註二、五行五常、五行とは木火土金水、五常とは仁義礼智信である。

  註三、男女の生殖器をさす

 

(管理者註)

※坤:こん。八卦の一つ。3つすべてが陰で構成される。易経での表記は☷。

※坎:かん。八卦の一つ。3つの卦が下から陰、陽、陰であり、陰の中に陽を蔵する。易経での表記は☵。

※性:せい、しょう。造化の働きをする先天の炁の源。別の訓文にて英訳すると「nature」とされる。

※天地否:てんちひ。易経の六十四卦の一つ。下卦に地(坤☷)、上卦に天(乾☰)が位置し、易経では天と地が交流しないことから「否」と称され、良くない卦とされる。参考図

※地天泰:ちてんたい。易経の六十四卦の一つ。天地否とは逆に、下卦に天(乾☰)、上卦に地(坤☷)が位置する。易経では「泰」と称され、天地の気が交わる良い卦とされる。参考図

※水火既済:すいかきせい。易経の六十四卦の一つ。下卦に火(離☲)、上卦に水(坎☵)が位置する。易経では「既済」と称され、完成した姿とされるとされる。参考図

※火水未済:かすいびせい。易経の六十四卦の一つ。下卦に水(坎☵)、上卦に火(離☲)が位置する。易経では「未済」と称され、易経では所(適所)を得ていないとされる。参考図

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