本年農歴壬寅十月一日、2022年10月25日(火)に東京総院は六十周年を迎えるにあたり、総院が創立するまでの経緯をまとめています。今回は、日音・日譯『太乙北極真経』が完成する経緯です。
◆日音・日譯『太乙北極真経』はいつ完成したか?◆
一九六二年の開幕式典においても、六献典礼と聖号を皆で奉誦したのみであり、『真経』誦経は行われていません。今日、修方が拝領する日音『真経』はまだ無かったのです。現在、修方が手にされている日音・日譯『真経』も様々な方の手により完成したことをご紹介します。
一九六三
・癸卯年處書畫科列呈事項彙編(正月七日至三月十五日)
〇游篤慧氏(台北主院)、鄒龢昶氏(台北主院)、土屋化同氏など十一名が『真経』の日訳を正式に開始することを呈報する。
訓「經の日文譯。東瀛修方の根本正締を得悟させる。(後略)」と許可され、各霊が与えられ、激励される。
一九六三
・癸卯年三月十五日處書畫科
篤慧、龢昶、化同など十一名が日音・日譯『真経』『神咒録』『道院綱則』などの完成を呈報する。訓によりいったんは許可される。化同は指導のため日本へ帰国する。
・癸卯年處書畫科列呈事項彙編(三月二十九日至閏四月十六日)
『太乙北極真経』等の版権や印刷などの指示を仰ぐと共に、日訳『真経』には、まだ検討する余地があるため、再度検討することを呈報する。訓により、再度の検討が許可された。
・癸卯年十二月二十日處科
篤慧、龢昶が日音『真経』の完成を報告する。また、その際に台北主院にて坐や誦経を研鑽していた笹目秀和のために印刷の許可を呈報する。
濟佛訓「本處(香港総母宗)に代わり、臺院(台北主院)が三六〇部印刷することを特別に許可する。以って拝領を請うことに応じ備えよ。」
一九六四年
・甲辰年三月二十日處科
〇日音『真経』の印刷が終わったことを報告する。
濟佛訓「註音の『真経』。各方の辛勤功行、殊に嘉すべきである。均しく随時、樞册に記す。茲に三百六十部の經の印刷が終わった。以って百部は臺灣に残し、拝領を請う和方に本處に代わり授けよ、残りは本處(香港)に存することを可とする。これを知れ。」
ここにカナルビがついた日音『真経』が完成します。
・甲辰年五月二十日處科
〇篤慧、龢昶が日音・日訳『真経』が完成したこと、その名称を日譯『太乙北極真経』で良いかを呈報する。
濟佛訓「眞經の譯。その困難な處、炁霊の妙化に於て在り。文字にて形容を表すことへ達すること能わず。全て善悟に在り。茲に東瀛の宣化を以って、格する文字の障。篤、昶、および乾坤の各方は各個、苦修を参悟する所を得て、この經を譯し成す。苦心集力、為道宣労と謂うことができる。各方の功行は天籍に等しくはないが功を均しく記す。各々、これを知れ。この經の定名を照准(許可)す。(後略)」。
一九六二年の総院設立から、二年後の一九六四年に日音・日譯『真経』が許可され、総院での『真経』誦経が開始されます(それ以前に、道院の別の経典を誦経する許可を得た訓があるが、実際に行われたかは不明)。『真経』誦経が開始され、その指導には翻訳に従事した土屋化同氏、来日した游篤慧氏、研鑽より戻った笹目秀和氏などがあたったと記録されています。
この間の会報では、漢学者で有名な安岡正篤氏(道名・誠恪)による『太乙北極真経の基本概念について』が連載され、経を理解する知識を啓蒙していきました。