2022年の今年は紅卍字会が発足してから100周年にあたります。道院の精神を外慈(福祉事業)として活かすために、創立されたのが紅卍字会です。
道院は誦経、先天の坐を通して内修(内面を養う)を行い、紅卍字会はその精神を以って具体的な救済事業として外慈を行います。内修だけを行う、外慈だけを熱心にするなどのどちらかに偏ることは戒められています。
『経坐輯要』の解説を少し休み、今回より『道慈綱要 卍字篇』(※)より外慈や紅卍字会について解説していきます。翻訳が未熟のため、主旨が分かりにくい点がありますが、お読みいただければ幸いです。
※『道慈綱要 卍字篇』:『道慈綱要』は「道慈研究所溯源語録」を一巻とし、「大道篇」「卍字篇」「禮儀篇」などに分かれ、全六巻の書物です。訓文や東洋思想を元に道院の玄学を解説した巻から歴史、儀礼の手順などが書かれています。扶乩で認められた正式な文章で、「卍字篇」は三巻にあたります。全巻の和訳はまだなされていません。
卍字會の創設
(略)卍字會はいつ創立され、その設立の原因は何であるか、これは我らが知っておくべきものである。道院と同じく卍字會は神明の指示により起こり、道院の最初期よりすでにその萌芽はあったが、その始まりはほんの数人だけであった。神の指示に応じ、道を行い、過ちを改め善を勧め、道や善を勧める詩文を倡和していたが、はじめは世間と交渉は無かった(広まらなかった)。辛酉(1921年)二月に道院が成立し、人々が知ることとなり、少人数だけで済む段階は過ぎ去った。自らを修めこれを外に広め、利し濟する救世濟人の責任があったが、その頃は規模が小さく、財力は充分ではなかった。道院に慈院を設け、一つか二つの小さな善挙を行っていたが、この段階では、まだ時、勢、才、力、機縁、修候が限られていた。しかし、必要な過程であった。
次年壬戌(1922年)、次第に修方も増え、功候が深まり、規模も広がり、財力もますます大きくなった。さらに時機が適応し、訓により世界の人、物の救済を行う卍字會が成立した。道院が設立してから、年を得ないうちに、紅卍字會が次々と各地に設立された。その勢いは、これが人力によってできるものだろかと思うほどの不思議さであった。
卍字會が未だ設立する以前に行った道院慈院の善挙を区別すると、水害の救済、学校、工作所、障害者施設の設立、銀行業などの慈業があるが、卍字會の範囲ではないのでここでは略す。ここでは謹んで、卍字會創設の種々の経過を八目に分けて述べる。
第一目 卍字の萌芽
壬戌(1922年)四月中旬、上海道院が設立し、各院の代表が滬上(上海の別名)に集まった。この月の二十六日の訓(扶乩による文)
「前戦地の後の罹災の民の状況は極めて惨めであり言葉にできない。世界の兵會(戦争)を弭するために先に議すべし。一紅卍字会を内部に特設せよ。會旨は世界各戦地の無告(窮状を訴えないこと)の生き残った民を救うことである。素惺、素初、慧恵、慧濟、黙靖、素止、素一、素定、素微(※)を派(派遣)し、また諸方の希望するものを列名に准する。事は重大であり、衆(人々)を濟せよ。また個人の献金とは別に慈款(慈業で用いる資金)を備えよ。速報を商会に送り、勧誘と募集をせよ。この二つの方法を調べ、(人や物資を)先に手にせよ。これらの答えの待て。杜君黙靖らがこれに当れ」
などの訓があった。
※素惺、素初、慧恵、慧濟…素微:すべて道名であり、当時の修方。
宴に集まっていた滬上各界の名士に、道院が紅卍字會を創設したこと、その主旨、濟世救人を意志し、紅十字会(赤十字のこと)の手の届かない所も救済することにあることを宣布した。各界からの賛助を募り、早期にその完成を観ることを期した。この時、人々は紅十字会のみを知っていたため、このような言い回し(紅卍字會)を使うこととなった。これが紅卍字會という言葉の初見であり、紅卍字會の名称の萌芽である。
卍字會の成立前の籌備と成立後の進行はすでに最初期から萌芽している。吾らが速やかに知るべきは、なぜ世界紅卍字會と名付けられたか、そして紅卍字の意義および紅卍字會の性質は何かということである。先にこれらの表明がなされなければ紅卍字會設立の必要も知らず、理解もできない。籌備および進行がいかなる時を経たかもわからない。叙事の途中において説明を書くと不順を覚え、文理に不合を既に有してしまう。故に萌芽したばかりの卍字會のことをしっかりと得ることができない。
籌備の先を著す前に、まずその定名と性質を分けて書き、然る後に再び籌備や設立の進展や種々の事実を述べる。それにより一貫して覺(知)ることができるのである。故に二、三、四の各目において先に卍會の定名、性質、任務を述べる。後に五、六、七、八の各目にて籌備および成立の事実を述べる。