孚聖
ふせい
八仙人の一人、呂洞賓として広く知られる。
解説
孚聖は統院の学籍です。道院の草創時代、すなわち浜県に発祥した頃からしばしば壇に臨んで訓を垂れ、また書画を賜わり、修方にはなじみ深い方です。八仙人の一人として、中国では一般にも広く知られています。
出自と誕生
聖哲略史によれば、孚聖の姓は呂、名は巌、洞賓は字であり、号は純陽と称しました。唐代の人で、河南の浦州は永楽県の出身です。父の譲は元和年間の進士、母は王夫人です。
孚聖は貞元十四年四月十四日巳の刻に誕生されました。王夫人が産褥に就いたとき、名状し難い芳香が室に満ち、空に天楽が聞こえ、それとともに一羽の白鶴が天から降ってきて寝所に入り、そのまま見えなくなったと伝えられます。
生まれた嬰児は、金形木質、鶴頂、亀背、鳳眼で、長い眉を持っていました。
幼少期と人物像
幼い頃から聡明で、日に万言を記憶し、口に出す言葉はそのまま文章を為すと言われました。
成人後は身長八尺二寸、その容貌は漢の名臣・張良(張子房)に似ていたと伝えられます。
まだ嬰児の頃、唐代の禅師・馬祖がこの子を見て「この子の骨相は非凡である。俗世間の俗人で終わることはないだろう」と言ったといいます。
鐘離権との出会い
唐の会昌年間に、二度にわたり進士の試験に応じましたが、及第することができませんでした。
たまたま長安の酒店で雲房先生に遇うことができました。雲房先生とは、八仙人の鐘離権のことです。
雲房先生は十度にわたって呂洞賓を試みましたが、少しもたじろぐことがなかったため、黄白の術、すなわち錬金の術を授けました。「この術をもって人を救い、物を利せよ。そうして三千の功を満たし、八百の行を全うすれば、汝の器量に応じたことを教えよう」とのことでした。
呂洞賓が「造った黄金は変化したり、怪しいことが起こったりはしませんか」と問うと、雲房先生は「それは三千年後には元々の姿に戻るだろう」と答えました。孚聖はがっかりした顔色で、「三千年後の人に罪を犯させるのでは、この術は必要ありません」と申されました。
雲房先生は笑って、「汝の心もちがそのようであれば、三千八百の行はすでに円満に成就したものだ」と言い、すなわち延命の術を授けたのです。





