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至聖先天老祖聖像升座記念日

   2021年8月14日(農暦辛丑年七月七日)に至聖先天老祖聖像升座記念日を開催します。年8回ある六献典礼(老祖様に対する祭典)の一つです。どなたでもご参加いただけます。ご参加を希望になる方は問い合わせフォームからご連絡ください。また、ご参加される方はコロナ蔓延防止のため、手指消毒、マスク着用などのご協力をお願いいたします。

 

【聖像とは?】

   至聖先天老祖のお姿を写真で写したものです。道院史において複数回の聖像顕現がありますが、その中でも今回は至聖先天老祖を祀る正位に祭祀している聖像を指します。修方にとっては一番身近な聖像です。

  そして、今回の祭典の題にある「升座」とは、壬戌年七月七日(1922年8月29日)に済南母院にこの聖像が掲げられた日を記念する祭典です。

 

 

【聖像を賜ること】

   すでに立春日の記事で紹介した文章ですが、この聖像を賜った際の記録を下記より転載いたします。

  先に道院を創設して神位を奉斎せる時に訓(扶乩による神示)有り、  老祖曰「吾が位は式の如く為すべし。吾が像の現るる時を待ちて、再び別に正式に開院すべし云々」と。

  当時は如何なる神意の存するかは知り得なかったが、1922年春にいたり、張修如、馬霊覚、盛霊得、杜霊成の四人(※)に神命下り、済南図書館屋上に於て   老祖の空中撮影を恭しく撮影し奉れとの訓があった。四人はこの訓を奉じて撮影に当ったが、今日各道院に於て   老祖正位の上部に掲げ奉っている聖像は実にこの時の撮影にて成れるものである。

  元来  老祖は天地人群物類を主宰したもう所の祖炁であって、無名無視、無体無方の宇宙創造の根源であるから、像の有るべき筈は無いのであるが、斯くの如く空中撮影する所以のものは、所謂「諸々の衆生に随って身を現わす」もので、畢竟、修道者の潔誠して之を奉斎するに資する為に外ならぬのである。

会報『東瀛道慈月刊』昭和32年5月号より

※張修如、馬霊覚、盛霊得、杜霊成の四人:張修如は『太乙正経午集』経首聖像の撮影にも名を連ねる。他の方々の詳細は不明。修如、霊覚、霊得、霊成は道名であり、道名が霊○の方々は済南母院が成立してすぐに求修された方々だと推測される。

 

 

【一番、最初の聖像記念日】

   次に、一番古い会報誌である『道徳雑誌』より、  壬戌年七月七日(1922年8月29日)に聖像を済南母院において初めて升座し、その翌日の扶乩に降臨された老祖訓を掲載いたします。

  やや難解ですが、前半に祭典の本質、災刼の起こる理由や修道のこと、最後に紅卍字会を設立し各地の災刼を救済せよと老祖様からの指示とはげましの老祖訓です。その後、謨祖(ムハンマド)呂祖(孚聖)の祝辞が続きます。

 

老祖聖像記念日済南道院の訓

  老祖の空中現影は恭しく写真撮影された後、母壇に供えられた。七月七日、訓を奉じる前に聖像写真は引伸ばされた。そのうえ是の日を記念日と定めた。次の日に扶乩が開かれ、諸々の天界神聖仙佛は均しく祝賀に臨まれた。続いて  至聖先天老祖降臨して曰く

「良い時、佳い集まりなり。天と地の分線はこれから交わり安泰し、人と神の限界はこれに由り化合し、万物の階級も此れに因り少なくなる。入る時は、明明(明白)であるが、出る時は渺渺(果てしなく広いさま)である。焱焱淼淼(強い勢いの火と水)、鑫鑫森森(計りきれいほどの金と森)は、均しく垚垚(多い土、高い山)に帰して水に化し、炁に凝る。乾坤宇宙は一に合相する。即ち是の一の合相の相に対して、その説明はしないが、吉祥の文化が興こるのである。吉祥とは何を謂うか、乃ち本である。大道は先天の炁胞の中に入る。炁の質は本来凝っているが、何を万に化して後に一に帰するのか。

  老人(老祖様の自称)曰く、炁是れ炁、化是れ化、帰是れ帰なり。夫れ炁は本来先天の無無から来たり。満ちた後に溢れて生じ、是に於いて化するのである。化生した後に繁り細となり、倫を無くし、大体は小体を欺き、智心は愚心を害し、常にあちらこちらで争奪が起こるのである。なぜ愚は智に欺かれるのか、それは自らそうするのである。豈に天はこれを聞いたり見たりすることが好むだろうか。そうではないのである。このようなことの発生には原因があり、結果もあるのである。故にもし良知が常に心が澄みきり、落ち着いていて、常に腦海が能く学ぶなら、愚者は智者になり、智者は愚者になるのである。愚者が智者になることは理解ができるが、智者が愚者にもなるということについては、世の中で疑問を持つと持たない人がいる。思うに大智は愚の如しのことである。これは本当の心の愚ではなく、詐欺をせず、どちらにも片寄らないことを言っているのである。中庸の道とは正に此の意味である。耶蘇(イエス・キリスト)の博愛は草木、昆虫に及ぶ。自分の身で世を救うとはこれと同じである。耶蘇の救世とはこのようなものであり、自身を無残に害すことに何の苦があろうか。かくのごとく耶蘇の智は天に通じ、地を明らかにし、炁道に合するなり。炁が凝れば、則ちその霊は常に存在する。炁が化せば、則ちその霊は亦常に存在する。今、吾は千万紀年来未だ無い光明を放ち、五百世を将に興し、之を隆盛す。亦これが救世の本旨である。

  紅卍字会の成立と吾が相(像)昇坐の大慶は、俱に同時になり、人と天は同じく妙境に至っている。昇像の奨、紅卍字の賜は、未だ容易に得られていない(※)。しかし、各子は自分を度(救)う根と苗を已に有しているのである。しかし一般のこの教えをいまだ受け取っていない苦悩の人は、いつ頃苦海から抜け出し始めるのかまだ知らないのである。このことを思う毎に、感歎に耐えられないのである。

   諸子は人の苦痛を共有しているので、必ずや言行如一であろう。吾れ多くの訓を述べず。今、汕潮、台州、贛省、周店は応刼を受けている地である(※)。紅卍字会成立の時にある限り、どうして無視することができようか。天命と吾が訓に遵えば、紅卍字会は成立できる。さもなければ、会は子供の遊びの場になるのである。前訓(※)を記すべし。まだ覚えているだろうか。私の南方へ行くきっかけはここにあるのである

※昇像の奨、紅卍字の賜は~:昇像したことによる天から与えられる功徳、紅卍字成立による救済活動は未だ完全に得られていないの意。また、未だ衆生は救われてないの意。

※汕潮、台州、贛省、周店は~:当時、風水害救援が各地で起こっていたことを指す。また、応刼とは刼の重さに応じ災害が起こること。

※前訓:汕潮、台州、贛省、周店に発生した風水害救援に対する訓のこと。この訓に基づき、成立したばかりの紅卍字会が救済活動を行った。

 

 

謨祖(ムハンマド)の祝辞 老祖像昇座文  濟祖譯(※)(壬戌年七月十二日)

    一個の瓢箪には天地万物のすべてを蔵されている。一闔、一開し、万霊化生すること多し。炁は化し霊に成り、霊は象に成る。象が出て霊は定まる。これは後世の模範である。霊炁が凝り、天地が太和になり、万物人類は同じく大羅(最高の仙境)に登る。人と霊は独一真宰に俲う(学ぶ)のである。我謨の吉祥の言葉である。

※濟祖譯:濟佛様が謨祖の言葉を訳して、扶乩にて伝えるの意。

 

 

呂祖(孚聖)の祝辞 (同日)

  このように聞く。優れた人がいた後に優れたことが行われると、優れた志と能力を持つ人は優れた業績を立ち上げる。今日、  至聖先天老祖昇位の際、諸子各位の誠心に感動す。遡って最初の壇が開かれた時、十人に過ぎなかったが、尚心に二五(二奥、五常のことと推測)を有していた。吾は大きな災劫が将に降りんとしているので、世の人々に代って各子に幸蒙(劫をなくすこと)を求めている。  老祖が慈悲を以て道を立て、経を伝えることを准した。今は當にこの時である。これを信じている人はしっかりしている。また智慧才能の有る人も多く存在している。   老祖が壇に臨まない時があるが、汝等は叩し之に随っている。昨年の春、  老祖が又壇に臨み、方便の門を大きく開いているのである。汝等は慈悲を本にし、経を伝え、広く救い、今まで一年余り、世の中に遍く広めている。これは天心、老祖の意思と雖も、爾等入門弟子の誠意でもある。既に三千大千の世界に大光明を放っている。天に通じ、地に徹り、すべては老祖の光明大化に随わないことはないのである。吾は故に先に序文を作るのである。」

会報誌『道徳雑誌』第二巻第六期より

 

中央の壇が正位。至聖先天老祖、五大教主を祭祀する祭壇であり、この祭壇に聖像が掲げられている。

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