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修道とは⑤「眞經大旨」──『經坐輯要』より

   今回も『經坐輯要』より、修道ついてご紹介いたします。

  前回の四回目までは、道や修道の基本となる思想や方向性をご紹介しました。今回の五回目からは『太乙北極真経』や『太乙正経午集』のパートとなります。

 『太乙北極真経』『太乙正経午集』を誦経することは、道院の修道において極めて重要であり、先天の坐と共に修道の大基本です。至聖先天老祖は災刼を化(消)すために各経を降ろされました。その経を誦経しないことは至聖先天老祖の意を無に帰すのと同じことです。一人でも多くの方が誦経に参加されることを願います。

  今回は「眞經大旨」です。至聖先天老祖が『太乙北極真経』を降ろされた意義を解説したものです。下記より『經坐輯要』からの抜粋となります。

 

「眞經大旨」

  『真經』は五教経典の祖脈を為す。また人生(にんしょう)の性命の根源を為す。修人がこの經旨を明らかにし、五教の経典を再び證(証)すれば、自ずから『真經』の玄妙高深を知り、比して等しいものは無いことを知る。

   上古の人の心は敦樸(穏やかで素朴)であり、教を言う必要はなかった。中古の人々の心は漸漓(次第に酷薄となる)となり、五教の聖人が各地に分かれて降りた。(五教の聖人が)大道を闡發(延べ伝える)し、人心を救い、正した。現代は下元の末に値(あた)り、五教の真旨は漸次失伝し、道は遠のき去る。その病根は門戸の見に在り。融合すること能わず、各教の自分の門戸で嗣いでゆき、支離破碎(散り散りの意)し、徒(いたずら)に枝葉を尋ね、道本は不明となる。欧西には宗教の争があり、殘殺の禍を演成す。科哲(科学哲学)と宗教は敵対するにいたり、人心はその真統を失う。今日の未だ見たことのない空前の浩刼を醸成するにいたる。

  老祖は衆生の沈淪(落ちぶれ零落する)を忍べず(憐み)、乃ち今次の傳經明道の挙を有す。中庸天命これを言えば性、率性(性に従う)これを言えば道、修道これを言えば教一節(道に通じること)であり、即ち人生の性命の根源を闡發す。

  老祖が発し明らかにされた道胞は即ち炁胞であり、炁を解すれば一輪となり、一輪は萬化の根源を為す。五教の種々の名詞は均しくこの根本を徴(証明)するに足る。

  古昔の聖哲は夙根(※)深厚で、事理を僅(わず)かに解して満足せず、さらなる上へ向かい根本を探求し、はじめて吾の人の智能は自己の所有ではないこと、天命に従いて来るものであると悟った。人が能く上帝と接霊すること、これを天命といい、天と人の間が息息相通ずる。天命から来るものはこれを智慧と謂い、人心が造りだしたものは識神という。五大教主は皆天命を奉じ、帝霊と接し、天に代わり宣化し、世と人を渡(救)した。人が能く天命を接受できれば善に明し初に復す。即、内に聖、外に王の學を成す。蓋し先天の心は道心を為し、これは偉大なことである。後天の心は人心を為し、これは狭小なことである。

  我が国(中国)が開いて早くから儒道(儒教・道教)の両家あるが源は一貫である。孔子が書を刪(けず)り、自ら唐虞を断った尚書二典三謨(※)の薪伝「人心為危 道心為微 惟精惟一 允執厥中(人心これ危うく、道心これ微なり、これ精これ一、允(まこと)にその中を執れ)(※)」が一貫を顕し示す。この十六字の心伝の他に、大禹が明らかにした率性受命の修功を最も真剣に為さなければならない。

  老祖が『真經』を伝授され、合五統六(五教を六に統す)、教を救い人を救い、霊を渡(救)し刼を化(消)す。以って道化を昌明し、世運(世界の運営、循環)を挽回するなり。

※夙根:シュクコン。生来の本質や前世からの因縁を意味する。

※孔子書を刪(けず)り、唐虞を自ら断った尚書二典三謨:古代の散逸していた書を孔子が編集しなおしたことを言う。唐虞は陶唐氏(尭)と有虞氏(舜)こと。尚書は書経のこと。その中の二典三謨の部は、「虞夏書」の冒頭にあり、堯舜禹の三代の理想とする政治が説かれる。

※薪伝「人心為危 道心為微 惟精惟一 允執厥中」:帝位が堯舜禹と禅譲される際、堯から伝わった政治の要諦。

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