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日本総院(東京総院)六十周年と戦後の歩み③ 年表1959~1961年

  本年農歴壬寅十月一日、2022年10月25日(火)に東京総院は六十周年を迎えるにあたり、総院が創立するまでの経緯を年表にまとめました。今回は1959~1961年です。

 

1959年 

・己亥年正月二十三日處科

濟佛訓:出口尋仁統監(王仁三郎聖師)は元化真君、出口承仁総社長(大本二代目 出口すみ師)は襄化大士、世界救世教岡田茂吉氏は贊翊尊者に錫位される。
※出口尋仁統監(王仁三郎聖師)は後日改めて「霊績真人兼中和普化天尊」に錫位されます。

 

・己亥年二月二十三日處科 

濟佛訓「すでに帰道した二十五名の祭祀について、帳簿一冊を備えて、申請せる所の二十余命を之に記載すべし」。霊位を設けず、帳簿に記載する現在の祀霊室の形が示される。

 

・己亥年二月二十三日處科

籌備處が正式に御神位を下賜されるまで、母院辰光閣落成典礼の時に下賜せられた弭災鎮靈宝籙を正位と同様に奉斎し祭祀することの可否。

濟佛訓「暫時奉斎して、災刼を弭め霊を鎮めるべし」

と正式な御神位ではないが、籌備處が御神位を初めて備える。

 

・西暦4月

籌備處が文京区高田老松町に移転

(一九五九年の扶乩では、聯洽専員への推挙と許可の訓が多く、煩雑になるため割愛します。その他、日本の修方の熱誠と激励の訓もあり。また、呉清源氏(道名:奕霊)の導きによる求修の訓も多数あります。)

 

1960年

・庚子年二月二十日處科

 図子正相氏が日本総院会建設基金として毎月基金の積立を提案し、許可される。

濟佛訓「正相の所見は行うべし。願いの通り許可す。」

 

・西暦7月 

『東瀛道慈月刊』七月号に「世界紅卍会日本総会設立趣意書」が掲載され、意義や基金募集が開始された。「日本総院会建設の意義」と題した東瀛道慈統監・出口悟天の講演も掲載されている。この後、基金へ献金が増え、扶乩により献金者への激励と各霊が加える旨の訓が増える。

 

1961年  

・辛丑年三月二十一日處科 

御神位の下賜を願う。

濟佛訓「日本総院会籌備處には先に正位一尊を下賜し、それを拝領することを許可す。(後略)」

 

・7月14日

道慈副統監・林出尋賢(当時、七九歳)が御神位を拝領するために香港総母宗へ出発し、七月二十八日に帰国。これが現在東京総院の正位で祭祀している御神位となる。

 

・辛丑年六月二十二日處科 

御神位を賜ったことに対して。

濟佛訓「尋賢は総処に来たりて参拝し、恭しく  聖位を拝領せり、虔しき誠の祈禱は已に  師の座の達せり。人心を挽回して救済するには必ず道慈を宏めて人心を道化に向かわしむれば、災刼は自ら弭まる。人心は深く欲に溺れて心が荒び、これを救済挽回して導き化すことは、極めて艱難を覚えるが、恒に堅き誠を持つ諸子は、大願力を発して、己れを捨てて世界を救う。まさに灰心することなく、懈怠せず、勇ましく毅く、その上に更に励んだならば、必ず偉大なる効を期することが出来るのである。賢子の至誠と功行は嘉すべきである。望むらくは努力して之を為すべし。厚く望むところ有りなり。(後略)」

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