本年農歴壬寅十月一日、2022年10月25日(火)に東京総院は六十周年を迎えるにあたり、総院が創立するまでの経緯を年表にまとめました。今回は1952~1958年です。
1952年
・壬辰年八月二十七日酉刻特處科
孚聖訓「東瀛(日本のこと)の化機、展佈の象を見る。」
・壬辰年九月十二日戌正處科
孚聖訓・「東瀛の展化、以って大本の慶典がその機を動かす。」
1953年
・壬辰十二月十五日處復科
孚聖訓・仁道など十八名の綜母宗側と日本側の化同(土屋弥広氏)と会談を 持つよう訓あり。
・壬辰十二月二十五日處科
関聖訓により、
耀宗(大本三代・出口直日氏)
悟天(大本総長・出口宇知麿氏)
化同
震甦(三五教教主・中野與之助氏)
尋賢(林出賢次郎 戦後初代統掌)
尋宗(大本・北村隆光氏・提携時に活躍する)
奕霊(棋士の呉清源氏)
鄒龢昶氏
蔓義澈氏
などの数名が聯洽専員に指命され、日本総院會籌備處の設立が示される。
1954年
・西暦一月十四日
日本総院會籌備處設立。場所は銀座並木通にあった北国新聞東京支社の一室。場所は恒福(嵯峨保二氏)の好意によって提供された。
1954年
・秋 籌備處、大本の上野東京本苑に移転
1957年
・西暦一月
会報誌『東瀛道慈月刊』第一号が発行される。第一号冒頭に「(籌備所開設から三年間で)分所開設せるもの七ヶ所、求修して道名を下賜せられるもの約九百余名、東京における月例道慈講話会を催すこと三十四回」と籌備所の活発な活動が窺える。
※籌備處の活動について:設立から総院開幕まで、土屋化同氏が中心となり、毎月の扶乩の處科を会報に載せ、月例道慈講話会を毎月開くなど、活動を行っています。また一九五八年九月から農歴十五日に「満月会」という名で、修坐、茶会などが行われていると記載があります。
1958年
・西暦一月
籌備處、杉並区成宗に移転
・丁酉年十二月二十三日特處科
濟佛訓「日本籌備處、耀宗、悟天、尋賢、化同など。道慈の宣化に力を尽くして、嘉すべきである。(中略)名義上は既に籌備處は為された。先ず院会の正式成立後を謀るべきである」。同時に人員の確保、経済面の確保などの必要性、初修の人への注意などの訓あり。
・戊戌正月二十三日
濟佛訓・呈報内容は不明だが、総院設立に経済面の不足を指摘される。
・西暦六月
台北道院の統掌・游篤慧(ユウトクケイ)氏が来日し、大本の亀岡、綾部、紅卍字会の分會のある姫路、神戸、筑紫、熊本、児島市、静岡、三河地区、上田市など日本各地を宣道する。

1957年に創刊された『東瀛道慈月刊』。総院でご覧いただくことも可能です。