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日本総院(東京総院)六十周年と戦後の歩み①

  本年農歴壬寅十月一日、2022年10月25日(火)に東京総院は六十周年を迎えます。

  大本(教)との提携により一九二四年に神戸道院が開設され、日本の道院史は開始されます。しかし、一九三五年の第二次大本弾圧により、その活動は一旦潰えました。それから二十七年後の一九六二年(昭和三十七年)十月二十八日の開幕式典により、東京総院が再び活動を始めました。

  戦後における総院の再発足とその後の活動について、神戸道院の開設経過にも一部遡り、改めてまとめてみました。読者各位が今号によって東京総院の来歴をご理解され、また今後の展望についてお考え頂くための参考資料となれば幸いです。

 

 

【戦前の道院について】

 

   一九二三年、大本(教)出口王仁三郎聖師と中国道院の使節団代表であられた候素爽氏の間で提携が合意され、翌年一九二四年に神戸道院が発足しました。次いで、大阪や亀岡に道院が開設されます。

   道院が東京に進出したのは、一九二九年十月十一日です。四谷南寺町にあった愛信会(大本の機関)において、東京総院が開設されました。同時に大本各地の支部において道院が併設されるに至ります。また、祝詞には「至聖先天老祖」の聖号も組み込まれました(現在は行われていないようです)。

   大本の全国各支部に開設された道院ですが、当時は『太乙北極真経』誦経や修坐はされていませんでした。大本(教)の中に、道院の神位が併設されていますが、誦経・修坐および道院としての諸活動は行われていません。現在のように『太乙北極真経』等が誦経され、先天の坐が日々行われるようになったのは戦後からです。

 

 

【戦後の復興も大本が発端となる】

 

  前述のように一九三五年の第二次大本弾圧から、総院の復活まで二十七年の歳月を必要としましたが、再興の発端もまた大本でした。

 

・壬辰年八月二十七日酉刻特處科(一九五二年十月十五日)

孚聖訓「東瀛(日本)の化機、展佈の象を見る。(中略)最近の大本六十周年の慶典を以って、則ち良辰嘉會である。」(處科訓錄巻一)

 

・壬辰年九月十二日戌正處科(一九五二年十月三十日)

孚聖訓「此次、東瀛の展化、以って大本の慶典がその機を動かす。使わす港、星の各監理、機に応じ発願する者よ、東瀛における推展大化を実に有し、また重任である」(處科訓錄巻一)

 

 と各訓があり、一九五二年十一月十八日に大本開教六十周年が開催され、台北道院の鄒龢昶(スウワチョウ)、蔓義澈(マンギテツ)の二氏が参加します。そして、戦前に大本において道院に求修した方々を中心に、道院の復興がなされていきました。総院設立(再興)の契機もまた大本がその端緒となっているのです。

  次の記事より、年表を掲載いたします。

『東瀛道慈新報』2022年6月号より転載

 

。1924年の大本との提携時にも活躍されましたが、戦後の総院創立にも尽力されます。死後、扶乩により勷承真君に錫され、毎年農歴七月九日に誕日祭典を行っています。 林出賢次郎(尋賢)初代統掌の正装写真(詳細はこちら
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