神仏の加護

神仏の加護
最近ふと目にとまった昭和43年の月刊誌の記述があります。
それは、「道慈に精進すれば、三代五代前の先祖が救われ三代五代後の子孫迄に福慶を蒙ると云われますが、昨年九月十七日北京で帰幽(享年61才)された清朝宣統皇帝(旧満州国康徳皇帝)は満州国帝位在任中、世界紅卍字会満州国総会の一修方として道名を『浩然』と賜り、道慈に尽力された功により九代の先祖が救われたと云うことは有名な話ではあります…」です。
宣統皇帝 溥儀と道院
宣統皇帝とは、清朝最後の皇帝であり、後に日本の帝国主義によって建国された満州国皇帝溥儀であります。「ラストエンペラー」という映画にもなりました。
私はかねてから皇帝溥儀も道院の修方ではないかと思っていました。それは満州国ができ、その時溥儀の希望で宮廷通訳官になったのが林出賢次郎先生であり5年もの間その要職にあったからです。
林出先生は中国で道院の高い道職を拝受しており、又戦後の日本紅卍字会の最初の統掌でもありました。
林出賢次郎先生と道院との出会い
林出先生と道院の出会いは道院が創立されてまもなく大正十二年関東大震災が起こり、その時、南京総領事であった林出先生が日本への支援物資発送を仲立ちしました。
これを機に道院と大本教の出口聖師との縁をつなぐことにもなったのでした。林出先生のその頃についての手記があります。
林出先生の手記 ― フーチの神示と徐福
「私が初めて道院に参拝して、フーチの神示を見ましたのは、大正十二年九月 南京下関の江寧道院でありました。
私が参拝した時はちょうどフーチの神示の降って居る最中でありました。私が案内されて其室に入ると間もなく、私に対する神示が出て七言の詩を賜りましたが、其私に賜りました神示の詩に『林使、今来って参観するのは深い因縁のあることである・・・』とあり、詩の後に『三島(日本)は旧遊、自ら還るべし・・・』とありました。
神示の詩を頂いた当時は三島は旧遊云々の意味が能く判らなかったが、徐福の霊筆によって大幅の画を賜った後、三島は旧遊と言うのは、二千年前、我が霊が中国人として生まれ徐福の一家又は徐福の大探検隊に加わって海を渡り、遠く日本に来て紀州熊野浦又はその他の海岸に上陸し、遂に中国に帰らず日本に永住したのではないか・・・。
そして今その霊が日本人として紀州熊野浦に近い所に生まれ青年時代から中国に渡りたいと希望してその目的を達して中国に渡り多くの中国人と親交を結び紅卍字会の信徒となり、老祖(至聖先天老祖)の弟子として道名を賜り、徐福の霊から大幅の画幅を賜ったのではないかと考えて見たことがあり、また徐福とは始皇帝により不老不死の仙薬を探してくるように命じられた後に三千人を伴って蓬莱山に向けて航海したが再び戻らなかったと伝えられています。」
また、林出先生は日頃から常々観音経をよく読経されていたそうで、神仏を篤く敬っていたと思います。
皇帝であろうと一修方であろうとも神仏の加護は日々日常の心構えが大切です。
道徳精華録の訓
道徳精華録の中に次の訓があります。
「大道は精神を重視して形式には重きをおかない、実行を重視して虚礼には重きをおかないものである。
そもそも聡明正直なるを神と謂うのである。故に神は善人の善事を為すをはげまし賞し悪人が悪事を為すを懲罰する所以である。
人は神に対してはただひたすら崇め敬うべきであり、決して汚すべきではない。
また真心を以って信じ奉るべく、迷信すべきではない。
もし汝が能く困窮の人を救済して、危急な事態を助けたり、悪心を戒め悪事を除去して専ら善心をもって善事を為すことが出来たならば汝が必ずしも神箔を焚いて祈祷しに来なくとも神霊は自ら暗黙の中に於いて汝を護り助け汝に幸福を下賜されるのである。
仮に若し汝がただ頭を地につけて礼拝し焼香して神霊に対して阿り媚び諂い、ただ虚偽的に功徳をたたえて善く祈祷をすることのみを知っていても、義を見ても仁義のことを為さず、悪性をたよって悪心を改めず悪事を除去しないのに神霊が汝の焼香と祈祷を接受して汝にえこひいきして助けに来るとしたならば、これでなお聡明正直の神と称し得るであろうか。
凡そ吾が道院へ入修した各弟子は、必ず老祖様が普ねく衆生を救済せんとする心を以って心とし、善事を実行することを修道の根本としなければならない。
香火を焚く等の事に至っては必ずしも重要なことではないのである。道院の各弟子は勤め励んで戒め慎しむことを肝要と為すのである。」
※埼玉道院 2026年5月5日の記事から転載





